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人はどんなときに希望を持てるんだろう、っていう「希望学」の研究対象になっている地域が釜石なのよ

釜石に移住した理由に、「希望学」がある。
「希望学」は東京大学の研究プロジェクトで、

「希望」が「喪失」とセットで語られる現代。
希望とはそもそも何なのか?
社会のなかでの希望の意味とありかについて、
一人ひとりが探求するための科学的プロジェクト、
それが「希望学」だ。
               玄田有史編著『希望学』2006年

釜石はその希望学プロジェクトの研究対象となっていた。

なんで釜石はその対象になったのか。

戦後の栄枯盛衰の象徴のような地方都市
(玄田有史さん、「三陸鉄道リアス線:15 釜石徹とラグビー、誇りの炎」朝日新聞2019年3月29日付)

戦後、復興と朝鮮特需で鉄が必要とされ、
製鉄所で多くの人が働き、街は繁栄した。
やがてその製鉄所は規模を縮小し、
主要産業がなくなって人口流出が始まり、
もうひとつの主要産業である漁業も不振で、
人口流出が止まらなくなった。
地理的には、東北の山に囲まれた陸の孤島的で、
なにかと便利な都会へのアクセスが悪く、
高齢化が一気に進んだ。

そこで、東京大学は2006年から釜石に調査に入り、
そうしているうちに2011年の大震災。
釜石の人々はこの壮大な「喪失」を乗り越え、
どうやって「希望」をつないでいくのか。

わたしも2011年の震災のあとから釜石に通って、
いろんな人と知り合って友だちになり、
少しずつ話を聞いていると、
涙が止まらなくなるほどココロが熱くなる。

話を聞いてるときに泣いてしまうのではなく、
あとからその話を文字にするときに、
その人たちの表情とか、声の出し方とか、
そのときの風景とか、匂いとか、
そんなものが一気に話の内容とともに思い出されて、
「なんでここの人たちは、こんなに強いんだろう」
って感動して、いっつも泣きながら記事を書いていた。

喪失、死、離別、絶望、ネガティブなことをたくさん抱えながら、
「生きっぺし」(生きていこう)
って笑っていうとか、
「想定外の自然の力がはたらいたときは、
人間がつくったものってみんな壊されるんだよね」
だから、高い壁をつくってそれに頼るんじゃなくて、
自分の力で「逃げるが勝ち」なんだ、
とかも笑っていうとか、
この人たちの、底抜けの「希望力」ってなんなのよ。

もし人の力、人の価値、がコミュニティによって磨かれるとすれば、
釜石という地域、釜石の人たちというコミュニティは、
人に力をつけ、希望を育ませるコミュニティなんじゃないか、と思った。

この釜石に身を置きながら、
オンラインで、ときどきリアルに足を運んで、
東京のコミュニティとか、いろんなコミュニティとつながっていく。

同じように考えてる人たちが、
日本中にたくさんいるはずなんだよね。
世界中にはもっとたくさんいるんだと思う。

玄田有史さんは、震災後、あらためて気づいたことがある、として
「釜石には、『外から与えられた希望は本物ではない』、と自立を目指す気概がある」(朝日新聞同上)

希望学、学び直さなきゃ。