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ワーケーションがなぜオフィスで働くより有益で意味があるのか

2月のうしろの10日間は、与論島でのワーケーションだった。

今回は、「#春から早稲田×春休み大隈塾」が
ほぼ毎日9時から10時まで入っていたのと、
それに加えて朝渋が7時30分から9時に開催されたりして、
3時に起きても13時までずっとそうしたオンライン講座とルーティンの仕事、
2日ぐらいは昼食抜きで夕方までパソコンに向かってた、ということもあった。
(#春から早稲田:早稲田大学での学び、暮らし、遊びに関する雑談。clubhouse)
(春休み大隈塾:学びを止めない、生活習慣を守るための自主ゼミ。zoom)

だけど与論島では、Tシャツで過ごせるあたたかさと気軽さ。
ベランダだったり、ホテルのパブリックスペースだったり、
突然スコールがザーッと降ったり、水平線に沈んでいく夕陽もあり、
牛舎からただよってくる匂い、静寂そのものの日中。
釜石や東京とはかなり違った環境で仕事ができた。

島一周21kmのハーフマラソンも、一人でSHIMA ソロ RUNしてきた。
マラソン大会が中止になり、申し込んでた人はそのゼッケンをつけて走る権利を付与されて好きなときに島に行って走る「SHIMA RUN」。
そしてそれも島での感染者が出たために中止になり、
ついにはSHIMA RUNもゼッケンなしのソロランになった。
でも、今回はこれが最大の楽しみのひとつだったので、
実現できてすごく満足した。

最大の楽しみのもうひとつは、
夜に居酒屋をはしごしたり、
友人宅での家族の夕飯だったり、
昼間にカフェで、仕事の相談にのったり、
島の人たちとの付き合いだった。

離島の新コロナに対する警戒感はとても強く、
ほとんど家族でものんびりと食事をしてなく、
スーパーでの買い物も極力抑えて、
居酒屋は少ない観光客に頼り、
島全体がちょっと元気ないかなあと思っていたけど、
目を凝らして耳を澄ませば、やっぱり地元の若い衆はちゃんと遊んでて、
島一周ぐるりとあるビーチやちょっとしたたまり場で、
楽しそうにじゃれ合っていた。

ワーケーションのいいところは、そうした仕事の環境を変えることと、
人数は多くないけど地元の人たちとの交流による思考の撹拌、
そして、移動をする、ということ。

新コロナの前といまとでは、人が移動するということの意味が変わってきた。
経済学者の水野和夫さんは『資本主義の終焉』で、
資本主義の本質を「より速く、より遠く、より合理的に」と表現した。
できるだけ高速に頻繁に、安い労働力があるところに工場を建て、
高い利益率で経営をする。

新コロになって、経済活動における出張しての商談、会議がなくなった。
飛行機や鉄道や自動車を使って移動し、
1時間や2時間や半日の仕事をして、食事して、帰る。
または、宿泊と食事をして翌日帰る。
当たり前にあったそれらが、消滅した。

オンライン会議、オンラインミーティングでは、
1時間の会議には1時間しか使わなくていい。
前後の移動はなし。
どんなに遠くの人たちとの会議でも同じ、
移動費に比べれば電気代と通信費はほぼゼロみたいなもの。

「より速く、より遠く、より合理的に」
は、オンラインになることによって完成された。

それに逆行して「対面」を求めるのは、
資本主義の本質とは外れる行為と思想と志向だ。
ということは、いままで実は、
資本主義の本質とは相容れないことを大事にしてきたのではないか。
それはなにかというと、ムダであり、不要なものであり、不急なものである。

ワーケーションもそうで、
なんでわざわざ移動してまで仕事をするのかというと、
移動するには意味があって、
それはムダであり、不要なものであり、不急なものであり、
つまり、いままで資本主義とちょっとだけずらして当たり前にやってきたことでしかないけれども、
さらに半歩ずらした経済活動ができることが、
ワーケーションの良さであり、
それでちょっとだけ豊かな心持ちになれる効果があるからだろう。

わたしたちが大事にしてきたのは、ムダであり不要なものであり、
急がないことであったことに、今回のワーケーションで気がついた。