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これでコーヒー1杯1200円は高くないかも

今日は「喫茶店の日」だそうで。

1884(明治21)年4月13日、東京上野に初めて喫茶店ができた。
「可否茶館」といって、2階建ての洋館で、
2階が喫茶室で、1階はビリヤードとか碁とか将棋とかができて、
硯と便箋と封筒があって手紙を書いたり(筆はなかったのか?)、
新聞や雑誌、和漢洋書、書画まであった。

「可否茶館記念会」のサイトでは1階でクリケットができた、
と書いてあるからなにかの間違いかと思ったら、
敷地が200坪=660m2に建物が五間=9.1mと八間=14.5mなので、
クリケット場があってもおかしくない。
なので、「更衣室、シャワー室」もあったと書いてある。

コーヒー1杯が1銭5厘、牛乳入りが2銭。
当時もりそばが8厘だったので、コーヒーも牛乳もけっこう高かった。
いまもりそばが600円としたら、1200円のコーヒー。

時代は鹿鳴館で金持ちたちが踊り狂ってるころ、
出入りしていたらしいのがやっぱりそうした紳士淑女だったので、
普通の人たちは近寄らなかったのか、5年で潰れたとなっている。

でも、1200円って、コーヒーのほかに碁とか将棋とかできて、
本が読めて新聞も読めて、絵が鑑賞できて、ビリヤードもできて、
これはそんじゅそこらのカフェよりもいい環境だし、
硯と便箋があるということは、シェアオフィスでもあるし、
なによりいろんな人に会えて情報が得られる、
ということを考えると、1200円はコスパいいんじゃないか、と。

思うけど、そうしたファシリティや人とのつながりを楽しめるスペックが、
当時の人たちにはなかったんだろうな。

歴史思考ってそういうもんで、
当時は評価されないけど、100年後には(少なくともわたしは)評価を受ける。

オーナーの鄭永慶さんって、100年後のことを考えてたんだとしたら、
すごい歴史思考の持ち主だと思う。

ところで。
可否茶館記念会のサイトには、オープン当時の新聞広告も載ってて、

可否茶館開業報條
遠からん者は鉄道馬車に乗って来たまへ 近くは鳥渡寄ッて一杯を喫したまへ
※報條=中国語で「お知らせ」の意味  鳥渡=日本語で「ちょっと」の読み

味があるなあ。