時間どろぼうとSNS
新しいクツを買った。
白地にブルーの3本線がはいったジョギングシューズ。
3年ぐらい履き続けている赤いNewBalanceのに比べると、
クッション性はバツグンにいいんだけど、
さすがにおろした初日は履き慣れてなくて、
走っていてもどこか不安定で、
走っている間中『他者の靴を履く』みたいな感じがずっとしていた。
(ブレイディみかこの新著)
地元釜石の本屋さんに注文した本を取りにいった。
1週間ぐらい前に5冊をお願いしていたんだけど、
そのうち3冊はめでたく入荷したけど、あとの2冊はまだだ、
と店主のクワハタさんは恐縮していた。
そりゃAmazonで注文すれば、釜石でも、翌日に、5冊そろって到着する。
でも、どこに注文したのかわからないネット書店。
そのいっぽうで、誰に注文したかわかる地元の書店では、
1週間たってもそろわない。
それでいいんだと思う。
わたしは並行して3冊を読むようにしているけど、
同時に5冊は読めない。
3冊読むのは、1冊を長い時間読み続けるフィットネスがなくなったからで、
1冊にあきたら、つぎの1冊。それにあきたら別の1冊、
というふうに、たとえば1時間のうちに3冊を代わりベンタンに読んでいる。
ところが、これを5冊に増やすと、最初の1冊2冊の読みかけた内容が、
アタマに残っていない。
これは読み続けるフィットネスというより、
短期記憶の問題の部類かもしれない。
なので、たとえ5冊いっきに手に入ったとしても、
そのうち2冊はしばらく積んでいる状態なので、
それこそそのうち到着するので十分なのだ。
でも「そのうち」の1冊が『まんが南の島フィジーの脱力幸福論』で、
昨日の夜の「調和塾」は、
その著者の永崎裕麻さんと作画のやまぐちかおりさんのトークだった。
永崎さんは、
「日本では時間が盗まれる」
という。日本に一時帰国したときに、スマホを買いにいった。
そうすると、スマホ屋のスタッフが、長々と説明する。
わざわざマーカーで線を引きながら、ここは大事なところだと強調する。
ながながながなが、あれはこれで、これはあれで。
そしてあろうことか、
「この動画を終わりまで見てください」
とタブレットを渡され、永崎さんが2倍速で見ようとすると、
「ダメです」
とダメ出しがはいった。
けっきょく、スマホ屋に入ってから出てくるまで、2時間かかった。
時間を盗まれた、と。
SNSもそうだ、と思う。
SNSは目の前にいない人ととのコミュニケーションで、
電話よりは相手の時間を奪わないようにみえて、
じつはときにはリアルに人に会っている時間を削ってまでも、
目の前にいない人とのコミュニケーションに励んでいる。
コロナだからではない。
コロナ前からそうだった。
わたしたちは、人の時間を奪いながら生活をし仕事をしている。
5冊同時入荷じゃなく、3冊先に、あとから2冊、
という時間の流れで十分だ。
抱えきれない5冊分の時間は、
出荷する人か運ぶ人か売る人か待つ人かの、
時間をきっと奪うことになったのだろう。