見出し画像

津波にのまれても「生きっぺし!」(釜石までの道 2011年〜2020年⑧)

「こうやって死んでいくもんなんだな」
と、宝来館のおかみさん(岩崎昭子さん)は、
津波にのまれたときに、はっきりと意識した。

「わたしがのまれた波は、避難道にいたみなさんがいうには、
渦巻きのようにグルグルグルグル巻いていて、
わたしがのまれた瞬間、もうダメだ、って思ったらしいです」

らしいです、ではなくて、自分でも「死ぬ」と思っていた。
だけど、それは一瞬だけだった。
「こうやって死ぬことになっていたんだなあ、
と思った瞬間に、真っ暗になって苦しくなって」

生きっぺし!!!

「生きようと思った。生きっぺし! って思ったら、
ただただただただ生きることしか考えなかったです。
生きるぞ生きるぞ生きるぞ生きるぞ、と、
そればっかり呪文のように唱えていました」

おかみさんは、14:46の大きな揺れのあと、
すぐに避難道を登っていた。
大きな津波がくるのは、わかっていた。
だけど、まだ津波が来るまで時間があるとも思っていた。

だから、避難道から何人かが、宝来館の建物に戻り、
必要なものを持って再び避難道へ戻ってきていた。
おかみさんは、避難道を降りて、その人たちを迎えに行って、
手をつないで逃げている途中、宝来館の駐車場で津波にのまれた。

津波はYoutubeの動画の通り、
画面正面の海からではなく、画面横からやってきた。
最初は低くざーっときて、
すぐにマイクロバスを持ち上げるぐらいの高さと強さになった。

「生きるぞ生きるぞ、と唱えてもがいていたら、
水の上に出たんだかなんだか、
とにかく水の中にいるはずなんだけども、
急に息が吸えて息がはけるようになって……」

震災後、しばらくたってそのときのことを思い出すと、
たぶん小型のボートがひっくり返って、
そのボートの座席の空間におかみさんは入ったはず。
水面とボートの間の空間に偶然にも入ったおかげで、
呼吸ができるようになった。

おかみさんのそのときの記憶は、
いまでも曖昧なまま。
「たぶんボートだったと思うんだけど。
なんかかぶさったものをとったら空が明るくなって、
それから立ち泳ぎをしていまして、
がれきがあったからがれきをつかんだらまあ」

がれきだと思ったら、それは人の手だった。

もうひとり、生きている人がいる

「がれきだと思ったら、うわーっとあったかくなって、
そしたらがれきじゃなくて、人の手で。
人の手ならば誰の手か?」
だれ? と叫ぶと、従業員だった。
「吉田という子でした。その子が『おかみさん、手を離さないで』
っていう。手を離さないで立ち泳ぎしてたら、
木に引っかかっていたマイクロバスがあって、
それにつかまってよじ登ったんです。
吉田は『もうダメ』って、力がふっと抜けて」
咳き込んで弱音を吐く吉田さんに、おかみさんは
「いいから生きっぺし! 生きっぺし!」
と、無我夢中で励ましていた。

しかし、
「次の津波が来ているのが見えた。
ここからもっと高いところに逃げないとその波にまたさらわれる。
そう直感で思って、もういましかない、
いくぞ、生きっぺし! って」

マイクロバスの屋根から避難道に飛び移り、
這うようにしてその道を登っていった。