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他者の靴を履いて絵を観る

朝の黙読会の友だち5人で、横尾忠則展を観てきた。
(GENKYO 横尾忠則 「原郷から幻境へ、そして現況は?」 東京都現代美術館)

東京都現代美術館に5人。一人は福岡から、わたしは岩手から、
そして一人はシンガポールから、という広域連合。

まずは、40分ぐらいでざ〜っと展示全体を見渡してみて、
館内ある地点に集合し、再び最初の展示に戻り、
みんなでしゃべりながら観る。
6人だったら3人と3人に分けようかと思っていたけど、
5人なので3人はいいけど、2人だとちょっと寂しいので、
5人そのまんまでいくことにした。

どの絵を鑑賞の対象にするか、決める当番を順番を決めて、
それぞれ「ざ〜っと見」したときに、「ん?」だか「ん!」だか思った作品の前にみんなを連れて行く。
そして一定の時間(その日は8分間だった)、観ながら気がついたこと、
思ったことをあーじゃこーじゃとおしゃべりする。

5人それぞれの観点を披露し合うこともあれば、
ある一人の観点から、それをどんどん広げていって観ることもある。
そのときは、自分の観点はさておいて、マインドフルにいろんな観方を受け入れていく。

ひとりではまったく気が付かないことが、
5人もいればどんどん観「点」がでてきて、
その観「点」がつながっていくとき、
なんて自由なんだろう、っと身が震える思いがする。

オススメの美術鑑賞の仕方がこの、対話的鑑賞。

もうひとつ、おもしろそうな観方を発見した。

展示室内に座るための四角い箱があったので、
そこに座って、目の前にある絵を眺めていた。
その絵が観たいから観ているんじゃなく、
たまたま座っているその場所の正面にその絵があったから観ていた。

風景画で、雨上がりの夕焼けなのか、全体に赤く、
しかも雨がものすごく降ったかのように透き通った印象がある。
Y字路に建つ家で、正面の窓からフランス人形が見えている。
道には水たまりが広くできて鏡のようになり、その人形が映り込んでいる。

って感じの、あとからタイトルを見たら「朱い水蒸気」と書いてあった絵。
なんだけど、当然ながら、その絵とわたしの間に、どんどん観覧者が入ってくる。
だから、人越しに絵を観るようになるときもあり、
その人がいろいろなので、どこで立ち止まるか、
立ち止まる位置によって、絵の見え方が違ってくる。
立ち止まらないで「ふ〜ん」と思うだけで通り過ぎたり、
たぶん「ふ〜ん」とも思わないで通り過ぎたり。
いろいろだ。

美術館の中で人は、絵の前では立ち止まらない、ということもわかった。

そうしているとそのうち、
「立ち止まって絵を観る人は、どんな視点や観点から観ているんだろう」、と想像し、
その人になりきって絵を観ている、というひとりゲームを楽しめるようになった。

Tシャツと短パンとビーチサンダルのおじさん、
青と赤のグラデーションがすてきなブラウスを着た姿勢が左前に曲がっているおばあさん、
就学前の男の子とおかあさん。
それぞれ背中を見ながら、その人になったつもりで絵を観る。

これもまた、一人で観るときとは違った絵が見えてくる。
ブレイディみかこ『他者の靴を履く』にたとえていえば、
他者の靴を履いて絵を観てみる。

これはこれで、とてもおもしろかった。


(朝の黙読会:毎朝、clubhouseに集まって、<積ん読>処理をする会。50分読んで、10分しゃべる)