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ケセン語とイエスの言葉

『イエスの言葉 ケセン語訳』、
ひさびさに本を読んで、グッとくるものがあった。

著者の山浦玄嗣さんは、岩手県大船渡市のお医者さん。
大船渡市、陸前高田市、住田町あたりを「気仙地域」といい、
「ケセン語」はそのあたりで使われている方言のこと。
気仙沼とは、ちょっと違うらしい。

山浦さんは東北大学で学んで以降、ずっと仙台で暮らしていたが、
ある日自分がふるさと気仙地方の言葉を喋れなくなっていることに気が付き、愕然とした。

「長いこと標準語の世界に暮らしていたので、わたしの気仙舌がすっかり錆びついていたのだ。こんなにさびしくがっかりしたこともない。『おれはどこの馬の骨になってしまったんだべ』という口惜しい思いが、自分の寄って立つ基盤を失ったかのような情けない気分にわたしを落とし込んだ」(『ふるさとのイエス』 山浦玄嗣 キリスト新聞社 2003年)

言葉とはなにか、言葉とは何のためにあるのか、という問いがあるとすれば、
その問いへの答えである。
言葉とは、自分の感情を整理し、自らを認識するツールである。

山浦さんは、失われた自己を取り戻すために、
生まれ育った気仙地方の方言を研究し始め、
『ケセン語入門』(1989年)、『ケセン語大辞典』(2000年)に結実する。

ケセン語の研究は、失われた自己を取り戻すことのほかに、
聖書をわかりやすく翻訳するためでもあった。

敬虔なクリスチャンである山浦さんは、子どものころの原体験として、
神父さんの説教や大人から聞くイエスの教えは大好きなのだが、
日本語で書かれた聖書の言葉がわからない、ということがあった。
ずっとそれに引っかかっていた。
だから、自分たちの生活で使われている言葉、ケセン語で翻訳をしようと試みた。

このケセン語訳の聖書、
『ケセン語訳新約聖書(1)マタイによる福音書』(2002年)
『ケセン語訳新約聖書(2)マルコによる福音書』(2003年)
『ケセン語訳新約聖書(3)ルカによる福音書』(2003年)
『ケセン語訳新約聖書(4)ヨハネによる福音書』(2004年)
によって2004年、山浦さんはヴァチカンに招聘され、
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世にケセン語訳聖書を直接献呈することを許されている。

ケセン語訳聖書が特筆すべきなのは、
古代ギリシア語からケセン語への翻訳、ということにある。
なぜならば、山浦さんの原体験は「聖書の日本語がわからない」にあったからだ。
聖書の格調高い日本語ではなく、自分たちの生活で使われている言葉、
自分たちの感情を的確に表す言葉、自分を見つめ直す言葉での翻訳である。

たとえば、「心の貧しい人々は、幸いである」(マタイによる福音書五・三 新共同訳聖書)を、
「頼りなぐ、望みなぐ、心細い人ァ、幸せだ」と訳した。

古代ギリシア語の原典にあたってみると、
「心が貧しい」は文法的には正しいが、
ギリシア語本来の意味からは著しくかけ離れ、本来の意味がきちんと伝わらない。
原典に即して日常で使う日本語(ケセン語)に訳してみると、
「頼りなぐ、望みなぐ、心細い人」
になった。

そして、山浦さんは、こう書く。少し長いが、引用する。

「あの恐ろしい大津波の後、変わり果てた瓦礫の野に立ち、外界との連絡も全くとだえて、涙を流すことさえも忘れて呆然と立ちすくんでいたとき、わたしは本当に『頼りなく望みなく心細い人』だったと思います。そんなわたしがはじめた涙を流したのは、まっさきに駆けつけて、遺体の捜索に、瓦礫の撤去に泥だらけになって黙々と働いている自衛隊員の姿を見たときでした。あの感謝の気持をわたしは忘れることができません」
「そして全国から、いえ世界中から、たくさんの助っ人が続々と大船渡にやってきました。カナダやアメリカから駆けつけて、せっせと泥さらいをしている青年たちの姿に、何度泣かされたことか」
「それはすばらしい涙でした。うれしい幸せの涙でした。こんなにたくさんの人々がわたしたちのことを心配して、わたしたちのために駆けつけて、わたしたちのことを大事にして、黙々と働いてくださっている。こんなに人さまから大事にされたことが、東北人にはあったのだろうかとさえ思いました」(『イエスの言葉 ケセン語訳』p60-61)

何度となく冷夏が大飢饉を引き起こし、
貧しいがゆえに子を売り、家族がばらばらになり、
「賊」の汚名をきせられ、
「白河以北一山百文」と侮蔑されてきた。
「その東北に」、という山浦さんの熱い思いが伝わってきて、
わたしも思わず胸がいっぱいになった。


『イエスの言葉 ケセン語訳』 山浦玄嗣 文春新書 2011年