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古くて枯れたのも大切

祖父母のお墓参りに行った。その霊園には、お客さんのお墓が超近くにあったり、霊感が強くて有名だった仏教先生が眠られている、という生前全く関係性のない3家族が眠っているという私にとっては不思議な霊園。

さて、うちのお墓は、親戚がお正月用のお花を用意してくれてるので、取り立てて用意する必要もなく、庭に生えてるお花をぷすぷすと追加挿すだけなんだが😆

先生のお墓に行けば、とても立派な松竹梅仕様のお飾りが。お恥ずかしいが、松竹梅仕様っていうのを知らなくて、枯れてる竹を花束から抜こうと掴んだら、速攻母に注意された😅それで、「枯れてるから」と言うと、「松竹梅だから」と説明を受け、反省してると、「まあ知らないことでやってしまった事を怒るような先生ではないから」、とフォローが😆

私が今の悩みをどうしたら良いでしょうか?と墓前で尋ねた後、去り際咄嗟に掴んだからこそ、先生達の答えだと思うのだが。この事象について、先生達が教えてくれた事は「枯れてしまったモノも全体の一部」という事。

新鮮な花は良いものであり、枯れた花(葉)は悪いものと決めつけず、松竹梅という世界観を形成した花束であれば、どれかが枯れてようが、その世界をそのまま受け入れなさい=人間社会でも悪いモノ・事と勝手に判断せず、受け入れなさい、という風に解釈をした。

慈悲の心が大切だと気負いせずに、流れるままに受け止めていくのも、また大きな器が必要であるなあ。私に出来るかしら?と思っただけで心配が増幅したので、出来るともできないとも思わずに、全てはいい方向へと信じ、誠実に対応していくのが1番だなあ。

追記:花束の稲穂🌾が1カ所なくなってたけど、あれは野鳥の仕業だろう😆🌾が食べられてしまうのも、自然の一部なんだなあ。



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