見出し画像

同じ言葉ばかりだと説得力がなくなるって話

はじめに

おはようございます。
むぎです。

あなたの周りには会うと毎回同じ話をしてくる人っていませんか?
友達同士ならまだしも職場の上司先輩から言われる武勇伝だったり教訓じみた言葉。

こういうの本当に聞くに耐えないなと毎回感じている中で、同じことを言い過ぎると薄っぺらくなる、または違った意味で聞こえてくるなんて経験は意外とあるんじゃないかなと思ったので、今回は私の最近の実体験をベースにして、今後への自戒の念も込めて「言葉の重みに」ついてお話ししていきます。

毎回同じ話をする人の心理を妄想してみた

さて、まずは今回のトピックが私の中で引っかかった経緯について。
私は現在地方の小さなIT企業に勤めています。
当然上司との距離は近くなるので、かなりまめに面談をして近況報告などをする機会があります。
そのやり取りの中で、必ず昔話のパートが入ってくるんですよね。
「私の若い頃は〜」
「昔はこんなに大変だったんだよ」
なんて話を誇らしげにされるわけですが、正直

だから何?

としか思いませんよね。
ましてやこれがほぼ毎回面談の度に同じようなことを言われると、

昔は大変だった、だから今の若い奴らは楽でいいよな

とでもいいたいのかとすら思ってきました。

本人はこういう武勇伝的な言葉をどういう気持ちで話しているんでしょうね。
間接的に
「私はすごいんだぞ」
というポジショントークになっているとも考えられそうですね。
幸い、うちの場合それで横暴な態度に出るような人がいないのが救いですが、内心どこかでは見下しているというのが透けて見えるような気もしますよね。
私が捻くれすぎですかね?笑

加えて、詳細はほとんど知らないのですが、うちの会社は昔若手に対して結構酷い扱いをしていて結果多くの人材が離れてしまったという問題を抱えていたようで、当時の反省から「人材は宝」というある種のテーマを掲げてここ数年は活動していたみたいです。

そんな話を聞かされる中で

「昔は若手に対してリスペクトがなかった。
今の若い世代は賢い。
もっと早くに気づくべきだった。」

という言葉も毎回聞かされるんですね。
過去の失敗から反省して同じ過ちを繰り返さないように努める心意気は評価に値しますが、それを当の若い世代の目の前で何度もいうのはどうなのかと思ってしまいました。

これは何回も言われると

本当は若い奴らが賢いなんて思っていないけどいないとこの先まずいからリスペクトしなければいけない

というような言わされている感、あるいは自分にいい聞かせている感というのを感じてしまいますね。

というように最近の経験から少し話す側の心理を邪推してみたのですが、やっぱり私には同じ話ばかりをする心理が分からなかったんですよね。
同じ話ばっかりしてて飽きないんですかね?笑

繰り返し続けるうちに言葉自体も薄っぺらくなっていきますし、段々その人自身の思考も広がりのない浅はかなものに思えてきますよね。

よく男女間で男の謝罪はとりあえずごめんだけで全く進歩がないから信用ならんっていう意見を目にしますが、まさしくこれも似たようなものですよね。

何度も同じ言葉を繰り返しているうちに段々薄っぺらく感じてきて信用も失う。

男性陣、そもそも同じ過ちを繰り返すなよ?失敗からは全力で学びましょう。

おわりに

今回は主に私の体験談からの感情ベースになっていたため、あまり汎用的な話にならなかったような気もするのですが、たまにはこういうタッチで文章を書くのも悪くないかなと思い実験的に書いてみました。

私も今回の話を踏まえて、同じ話をしちゃってないかなーと思ったのですが、私の場合、
そもそも一度した話を繰り返す
という行為自体が嫌いなので、
一度話したかもしれないと思った時には
「前にこんな話したっけ?」
と一度確認を挟むことにしています。

このワンクッションを挟むとどっちに転んでも間違い無いと思っています。

相手が聞いたことがなければそのまま話すにあたってのフックになりますし、聞いたことあるのであればその話は程々に派生した別の話題に移ったりすることができますよね。

一度した話を分解して個々の要素を拾い上げてまた別の話を展開する、というのはこの私のnoteでも取り入れている手法で、結構どこでも使えるテクニックじゃ無いかなと思っています。
こんなことを書きながら今度はこのテクニックを題材にしてみよう、なんてね?

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?