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スーパーコンピューター富岳は使えるのか

 2020年6月22日、コロナ禍で閉塞した日本に大変喜ばしいニュースが飛び込んできた。スーパーコンピューターの計算速度を競う最新の世界ランキングが公表され、理化学研究所と富士通が開発した「富岳(ふがく)」が首位を獲得したというのだ。世界一は日本として8年半ぶりのことらしい。開発に携わった各関係者の努力の賜物であり、先ずは素直に祝いの言葉を述べたい。

2位じゃダメなんでしょうか?

富岳は2011年に世界最速になった「京(けい)」の後継機として、14年から開発が始まり、官民合わせて約1,300億円の開発費が投入されているらしい。京が殆ど利用されず商業的には大失敗に終わった反省から、利用の裾野が拡がるようにと、末広がりの富士の裾野をイメージし、「富岳」と名付けられた。

スーパーコンピューターといえば、誰もの記憶に残るのが、2009年の事業仕分けの際に、謝蓮舫議員(筆者は議員がニックネームや通称で活動することには反対の立場であり、同氏が使用している『蓮舫』は彼女がタレントであった時代の芸名であることから、これを使用しない。戸籍上は配偶者の性に合わせた『村田蓮舫』と登録されているとのことであるが、彼女は夫婦別姓論者であり、筆者も職場での夫婦別姓には賛成の立場を取っていることから、結婚前の『謝蓮舫』という名を使用する)から発せられた件の発言である。日本は技術信仰の強い国であることから、同氏のこの発言は大いに批判を浴びた。冷静に観察してみて、批判の殆どが情緒的なものだったと記憶しているが、その中でも強いて論理的な批判を挙げるとすれば「世界1位のコンピューターでないと買い手はまったく付かない」という反論だろうか。しかし、この意見ですらまったくの見当違いであったということは、その後の『京』がまったく売れなかった事実が証明している。

もちろん、何事も1位を目指すのは素晴らしいことだし、グローバルでのプレゼンス低下が甚だしい日本が、科学技術の一分野で世界一の栄冠を一瞬にせよ得られることは、大いに溜飲を下げる出来事である。ただ、そんなことはアマチュアの世界だけにしてもらいたい。国家予算を導入し開発に当たっている以上、何らかの具体的なリターンが得られるのでなければ、それはまったく意味がないことなのではないか。これはオリンピックなどのアマチュアスポーツではないのだ。しかも、何に使えるか分からないが将来の応用の可能性を無限に秘めた基礎研究でもなく、「計算」という特定の目的に使用されるための機械を開発しているのだ。そこにニーズのない道具の開発などまったくといって意味がないと言っても過言ではない。そもそも謝蓮舫議員のあの発言があった際、その場に居合わせた文部科学省の担当者は絶句して何も答えられなかったと記憶している。呆れた話だ。官公庁であろうが民間企業であろうが、何かプロジェクトを始めようとして予算を確保する際には必ず事業計画書が必要なのは当たり前の話であり、そこで事業目的と効用については明確化されていなければならない。謝蓮舫議員の発言意図について、筆者は明確に知るものではないが、それにしても、あの質問は事業意義そのものについて問うたものと言っても過言ではなく、そんな初歩的な問いにすら答えられない担当者の姿を見て、唖然とした記憶は今でも鮮明に残っている。

富岳の使い道について、テレビでは「コロナのシュミレーションに使われている」として、同じ机に座っている人が言葉を発した場合に、どの方角にどれくらい飛沫が飛ぶかをシュミレーションできるなどという例を挙げていたが、お笑い草である。たとえその様なシュミレーションを数センチ、いや数ミリ単位でできたとして、それが実生活に何の役に立つのか。まあ、これはあくまで低俗なテレビニュースで示した分かりやすい例と理解したいが、富岳の実用的な広がりを、心から願ってやまない。折角素晴らしい物を開発したのだから。


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