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『青天を衝け』第40回「栄一、海を越えて」(2021年12月19日放送 NHK BSP 18:00-19:00 総合20:00-21:00)*15分拡大版

日本がますます領土拡張主義に走る中、栄一(吉沢亮)は実業界の第一線を退くことを決意し、それを表明する。60以上の会社の役員を辞職したそうである。渋沢さんが「指導監督するから劇場を引き受けたんだ」と言っているのは、大倉喜八郎(岡部たかし)ではなかったので、誰だ?

さて、このあとハルビンで安重根に暗殺されることになる伊藤博文(山崎育三郎)と昼間からウィスキーを飲む栄一。伊藤に対して栄一は、日本人移民問題に対してアメリカの理解を得るため渡米することを告げる。いわゆる民間外交である。栄一は「天保の老人(1)の最後の務め」という。そして、1909(明治42)年、栄一たち訪米実業団はアメリカの実業家たちが用意した特別列車でアメリカ大陸を横断往復する旅に。

栄一たちは91日間かけて60の都市を訪問、行く先々で講演やら何やらの過密スケジュールであった。ペンシルベニアの油田地帯を通過したときに髙梨孝子(土居志央梨)に「あれは何でしょうか?」と聞かせ、随行の通訳・ロジャー・グリーン(スティーブ・ワイリー)に油田の説明をさせている。その説明を聞いて「おおそうか。これからは石油か」と言う、実業家・栄一であった。

さらに車中では八十田明太郎(ヒロ ウエノ)に日本人排斥運動について説明させ、ミネソタでのウィリアム・タフト大統領(ニール・ギャリソン)との会談シーン。これからは日本にPeaceful Warを挑むと大統領の言葉であったが、栄一は戻ってきた列車車中で慶喜(草彅剛)の「人は誰が何を言おうと戦争をしたくなれば、必ずするものだ」という言葉を思い出すのであった。

移動の途中、伊藤暗殺の報がもたらされる。激しく動揺する栄一。そして、排日運動が最も盛んなカリフォルニアへ。サンフランシスコでの講演は中止すべきではというグリーンは忠告するが、栄一は伊藤の「アメリカは頼んだぞ」という言葉を思い出して講演をおこなう。はじめは用意していた原稿を読み上げていた栄一であったが、途中でその原稿を捨てて、アドリブで語りはじめる。「日本人は敵ではありません。あなた方の友だ。……日本には己の欲せざる事を人に施す勿れという忠恕の教え(2)が広く知れ渡っている。……あえて言いたい。タフト大統領が言ったPeaceful War ではなく No War だと」。聴衆の喝采を浴びる栄一であったが、出発を待つ汽車のなかで「どれだけ通じたか」といぶかしむ。しかし、その汽車の外からカリフォルニアに10年前に移住してきたという長州出身の親子が礼を述べに来る。ひととき、癒やされる栄一であった。

1910(明治43)年、渋沢邸。慶喜の伝記編纂の聴き取りのため、喜作(高良健吾)や猪飼正為(遠山俊也)も参集。庭では篤二(泉澤祐希)の息子の敬三(笠松将)が熱心に虫の観察をしているという場面。慶喜が父の烈公から水練はきちんとしておくようにと言われた話は栄一と篤二があまり親子らしい関係を築けずにきていたことを暗示する。

そして1ヶ月後、篤二が新橋芸者の玉蝶(江守沙矢)駆け落ちしたことが発覚。穂積陳重(田村健太郎)は篤二の後見人として何とわびれば良いのかと頭を抱えている。歌子(小野莉奈)は篤二のもとに行き、「なんでもっと家のことを大事にしてくださらないの」と言うのであったが、もはや時すでに遅し。栄一は同族会議で遺言書に篤二の廃嫡を書き留めることを決めるのであった。栄一にとってもこれは苦渋の決断であったが、自身の浅はかさ結末でもあった。

場面は敬三のラボ。「敬三は生物学者になりてぇんだと?」と敬三に尋ねる喜作は「人には向き不向きがある。自分は商売には向いていなかった。篤二も頑張ったが」と述懐。

翌、1912(大正元)年、時代は明治から大正へ。血洗島で喜作は「俺は新しい時代まで生き延びたぞ」と言い、栄一は「中国へ行きたい」と言う。村祭りの獅子舞のシーンとオーバラップする栄一と喜作の若き日の映像、……大正元年、喜作は74歳でその生涯を閉じた。

出来上がった『徳川慶喜公伝稿本』に丁寧に朱を入れ、付箋を貼っていく慶喜。それを恭しく受け取る栄一。「これでパリからの手紙への返事になったかのぉ」と慶喜。昭武からの直書が栄一の筆になるものであったことは慶喜は承知していたのであった。「尽未来際(ずっとの意)、ともにいててくれて感謝しておる」と栄一に言う慶喜は、1912年、家康の寿命を上回る徳川将軍最高齢の77歳でこの世を去った。

辛亥革命後、栄一を訪ねてきた孫文(東浩)は栄一に「資金を融通して欲しい」と頼みに来る。それに対して栄一は「あなた自身が経済人になられてはどうか」と。しかし、孫文を取り巻く状況はそれを許すものではなくなっていった。またヨーロッパでは第1次世界大戦が勃発。それに乗じて大陸におけるドイツ権益や南洋群島を奪い取ろうとする政府に抗議をしにいく栄一だが、「この国を大きくせねばならぬのであ〜る」という大隈重信首相(大倉孝二)、加藤高明外相(天田暦)に追い返されてしまう。第1次大戦を「大正新時代の天佑」(3)と言った井上馨は病床で「東洋における日本の権益を確立せぇ〜」と言って、この世を去った。享年80歳。

紋付き袴の正装で敬三に後継になってくれと頼む栄一。一方、シベリア出兵の報で世界地図を心配そうに見やる兼子(大島優子)たちであった。

注)
(1) 文字通り、天保時代に生まれた人びとをこう呼んだ。今で言えば「昭和のおじさん」みたいな感覚か。
(2) 栄一が好んで使った『論語』のなかの言葉がこの忠恕である。意味は相手のことを思いやり、公平無私に扱うということ。渋沢の思想を理解するときのキーワードである。
(3) ドラマで井上にこの言葉を言わせるかと思っていたが、言わせなかった。大森氏は「東洋ニ対スル日本ノ利権ヲ確立」のほうを採用したわけだ。

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