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『鎌倉殿の13人』第17回「助命と宿命」(2022年5月1日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

一ノ谷の合戦を後白河(西田敏行)に報告する義経(菅田将暉)。景時(中村獅童)は後白河が誤解していると指摘するが、義経はそれをあえて糺さずに「鵯越のほうが響きが良い。馬に乗って駆け下りた方が絵になるしなぁ」と。確かに響きは良い・笑 「歴史はそうして作られていくのだ」という義経の弁もまた然りである。

義時(小栗旬)の屋敷に久々に八重(新垣結衣)の従兄・工藤祐経(坪倉由幸)が訪ねてくる。その後ろから「親の敵」と石つぶてを投げる兄弟も登場。彼らは工藤祐経が殺した河津祐泰(伊東祐親の長男)の子どもたちであり、八重の甥に当たる。もちろん有名な例の仇討ちの伏線。八重は鎌倉で「このあとも鎌倉でむごい命のやり取りがあるのならばせめて子どもたちの命は救いたい」と義時に告げる。

一方、「義仲(青木崇高)を討ったあと片付けて置かねばならぬ事がある」と頼朝(大泉洋)。一つは甲斐の武田信義(八嶋智人)に誰が源氏の棟梁かをわからせてやること。もう一つは義仲の嫡男・義高(市川染五郎)の問題。頼朝はこれを小四郎に任せる。「人の世を治めるには鬼にならねばならぬ」ことをわかってもらうという頼朝。はたして心優しい小四郎にそれができるのか……。無邪気に大姫と戯れる義高。そこへ小四郎がやってくる。義時に「辛い役目を仰せつかったなぁ。上総介の一件以来鎌倉殿は腹を括られた。この鎌倉であの方に逆らっては生きてはいけぬ」と時政(坂東彌十郎)。息子にも腹を括れと告げているようであった。

頼朝に助命嘆願する政子(小池栄子)であるが、しかし、頼朝は義高の恨みは必ず万寿(頼家)に降りかかるとそれを拒絶する。政子は伊豆山権現に匿う策を講じようとするのだが、義高は自分は鎌倉殿を討つつもりであるから生かしておいては皆さまのためにはならないと毅然と言い放つのであった。

京。後白河から検非違使に任命される義経。「こうなったらどんどん偉くなって清盛を超えてやる」と家来たちに言う義経は、軍略の天才ではあっても政治に関してはまったくナイーヴであったという三谷脚本の設定である。確かに取り巻きに政治的な動きができる知恵者がいなかったことは義経にとっての悲劇であった。それに巻き込まれた静御前(石橋静河)も気の毒だったが、もっと気の毒だったのは比企能員(佐藤二朗)の姪・里(三浦透子)。鎌倉では義経と里との結婚が決まったことが知らされ、御家人たちは祝いの言葉を比企能員に述べ、能員は「御曹司が凱旋されたところで賑々しく祝おうと考えております」というのであるが……。

前回、巴(秋元才加)を捕まえた和田義盛(横田栄司)が義時に巴を引き合わせる。巴は義仲が義高へ「源氏同士で争うな」と認めた文を携えていた。巴はそれを義高に見せ、翻意を促す。義高は政子に対しては伊豆山権現に逃げることを受諾するのだが、義時とは話したくないと。この時の義時の表情が良かった。

伊豆山権現に逃げる算段をしているところに三浦義村(山本耕史)や義高の従者・海野幸氏(加部亜門)も登場。鎌倉殿のもとには武田信義とその嫡男・一条忠頼(前原滉)もやってくる。今回の冒頭で頼朝が言った二つの片付けて置くべき「案件」のプレーヤーがそろう。信義・忠頼は義高に頼朝を討とうと誘うが、義高はそれを拒否する。頼朝は武田親子が義高に会ったことを察知し、義高の見張り役を代えてしまう。気が気ではない義時。政子たちは阿野全成を頼朝に仕立てて義高を連れ出すことに成功したが、義仲討伐戦の報告を受ける頼朝は義仲が弓で岩を割ってそこから湧き水が出たという話(注)の真偽を義高のところにいって確かめてこいと言う。義時のそわそわを察した安達盛長(野添義弘)は自ら立って様子を見に行く。冠者殿に生き延びて欲しい気持ちは安達も理解していたのだが……。

そうこうしている間に義高たちは伊豆山権現への脱出を実行する。義高逃亡を知った頼朝は「見つけ次第首を刎ねよ」と命じる。しかし、気が乗らないという畠山重忠(中川大志)や和田義盛に義時は義高をうまく逃がすように時を稼いで欲しいと言うのだが、義高は義時を信じられずに伊豆山権現に向かわずに信濃へ。そこを藤内光澄(長尾卓磨)に捕らえられてしまうのであった。

大姫が決死の覚悟で頼朝に助命嘆願。頼朝は義高を許すことを決断したが、時すでに遅し。首になった義高が義時、頼朝の前にもたらされる。「これは天命ぞ」と頼朝。また不条理にも義時に藤内光政処断の命も下される。「あなたも妻子を持たれて分かったのではありませんか。あなたのお命は、もうあなたのものだけではないのですよ」とりく(宮沢りえ)。覚悟を決めた義時は光政を殺し、頼朝はさらに武田信義の嫡男・一条忠頼も義高との内通を理由に処断。義時は武田信義にも警告を発し、北条の信頼を高めていくのであった。また政子に御台所の言葉の重さを知ってくださいという義時は、「われらはもうかつてのわれらではないのです」と言うと同時に金剛には「父を許してくれ」と詫びるのであった。

注)頼朝が奥州征伐に出向いた際、弓で地面を掘って水が湧いたという遅乃井伝説の伏線?






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