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『青天を衝け』第28回「篤太夫と八百万の神」(2021年9月26日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

1869(明治2)年夏、版籍奉還。府藩県制が採られるので駿府藩は静岡藩に。その静岡藩には様々な人材が蝟集してくる。前島密(三浦誠己)もその一人(1)。先様と呼ばれるようになった徳川慶喜(草彅剛)も謹慎が解かれ、東京の一橋家別邸に住まう美賀君(川栄李奈)や徳信院(美村里江)も久しぶりの登場。箱館戦争も終わり、一応、世の中も落ち着いたことの象徴である。明治維新は紛れもなく革命ではあったが、旧体制の人びとも首を切られることなく、新時代にそれなりに対応していく。

さて版籍奉還と同時に明治政府の新体制も段々と整ってくる。古代の律令制を模した二官(神祇官、太政官)六省(宮内省、兵部省、大蔵省、民部省、形部省、外務省)制がそれである。篤太夫が出仕を要請されたのは民部大蔵省(当時は一緒だった)。四賢候(しけんこう)の一人に数えられた宇和島の伊達宗城(菅原大吉)が民部大蔵卿(今で言う財務大臣)だが、実際に切り盛りしているのは佐賀の大隈重信(大蔵大輔、今で言う財務次官 大倉孝二)や長州の伊藤博文(大蔵少輔、次官クラス 山崎育三郎)と説明するのは、漢学者の向山一履(岡森諦)(2)。篤太夫は大隈に直に会って断ってくるというが……。

篤太夫が東上する途中、美賀君に随行して静岡に向かう猪飼勝三郎(遠山俊也)一行と出会う。美賀君をはじめて直接見る篤太夫。ここにも時代の変化が感じられるのだが、篤太夫はどう思ったのだろうか。

江戸城あらため皇城に拠点を置いた新政府。そこに出向いた篤太夫は、伊藤博文に会うが、そこでの異人襲撃自慢は篤太夫の負け。伊藤は実際に品川の英国公使館を焼き討ちしているが、篤太夫たちは計画で終わったので・w ここでは右大臣(3)の三条実美(金井勇太)は二人のそばを通り抜けるだけの登場であった。

伊藤の案内によって舞台は築地の大隈邸に。今回のタイトルにもなっている「八百万の神々」発言が出たとされる会談。ここで篤太夫は完全に大隈に言い負かされる。さすが雄弁でならした大隈重信であるのである。この時、大隈31歳、渋沢29歳。そして、この会談の傍らには大隈綾子(朝倉あき)も居たことに注目しておこう。さて、静岡に帰った篤太夫は「民部省租税正」(4)の辞令を受けることを決意し、妻の千代(橋本愛)に告げる。千代は篤太夫の変転の有様をお蚕様に喩えて「よくぞ生きていてくださいました」と夫を励ますのであった。その言葉に篤太夫は「喜作も生きていた。あいつはもう一人の俺だ」とつぶやく。

仕官の件を慶喜に報告する篤太夫。「この先は日本のために尽くせ」という慶喜の最後の命にかしこまり、名も篤太夫から栄一に戻すと言う。「大義であった。息災を祈る」と慶喜。感動的な主従の別れのシーン。杉浦愛蔵(志尊淳)にも「見せてやれ、幕臣の意地を」と励まされる。そして、いよいよ静岡を辞し、東京に行く渋沢栄一であった。

ラスト。新政府の面々が集まるなかやってきた栄一。栄一は大蔵省と勘違いして言いたい放題。民部大蔵省に「改正掛」創設を進言。次回は「栄一、改正する」である。

【2021.9.27 16:35追記】
松平慶永(要潤)が久しぶりに登場。何を言うのかと思いきや「三岡が作った太政官札に文句を言うヤツがいてけしからん」と。越前藩士であった三岡八郎(由利公正、由利財政で知られる維新草創期の財務担当者)をかばう発言。ここ結構大事。しかし、松平慶永の援護空しく由利公正はこの年に辞任。その後は大隈財政へと引き継がれていくことになる。


(1) 前島密はもちろん次回描かれるだろう郵便制度創出の重要人物だが、個人的にはWOWOW連続ドラマW『密告はうたう』で宇田刑事役を好演した三浦さん登場でテンションが上がった・w 『密告はうたう』は今日(9月27日)最終回。
(2) 昭武のパリ行きの全権でもあった向山一履(黄村)は、静岡の名づけ親とのこと。ここを参照。
(3) 右大臣という官職はこの時期のみ。1871年に三条は太政大臣となる。
(4)この時期は民部省と大蔵省は合併していたのでちょっとややこしい。翌年には民蔵分離となり、渋沢も大蔵省に移管された租税司の租税正となる。


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