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『青天を衝け』第17回「篤太夫、涙の帰京」(2021年6月6日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

元治元年、篤太夫(吉沢亮)と成一郎(高良健吾)は一橋家のために集めた人びとを連れて江戸へ。そこへ渋沢中の家の作男・伝蔵(萩原護)が血洗島から惇忠(田辺誠一)放免の報せをもって現れる。安堵する篤太夫たち。しかし、江戸では平岡円四郎(堤真一)宅のやす(木村佳乃)のもとに京から円四郎死すの急報が……。

タイトルバックでは長州の井上聞多(のちの井上馨、福士誠治)や伊藤俊輔(のちの伊藤博文、山崎育三郎)も登場。順番としては渋沢との関係で井上の方が先に来ていた。アーネスト・サトウ(カイル・カード)の名前も。

伊藤と井上はイギリス留学から急遽帰国し、英国と交渉、何とか長州への攻撃をやめさせようとするが、 It's too late. とサトウ。結局、下関戦争は起こり、長州は敗戦。そのちょっと前の「禁門の変」でも長州の攘夷派は駆逐され、以後、長州は開国へと大きく舵を切っていくことになる。今回の「青天を衝け」の大きな歴史的出来事は、それに尽きる。

まずは「禁門の変」。円四郎を失って失意のうちにあった京の慶喜(草彅剛)のもとに長州挙兵の報がもたらされる。しかし、戦となれば「芋たち(薩摩)が手を叩いて喜ぶだけ」と慶喜。西郷吉之助(博多華丸)は慶喜に「何なら薩摩が先にいきもっそうか」と揺さぶりをかけるのであった。

場面は血洗島へ。伝蔵が篤太夫、成一郎の様子を渋沢の家のものたちに伝えるシーン。その後、江戸の一橋邸。篤太夫と成一郎は円四郎の訃報を知り、ショックを受ける。その場にへたり込む篤太夫。

一方、長州は桂川を渡り、いよいよ京へ。御所に参内し、孝明天皇(尾上右近)に長州討伐の勅命を受ける慶喜。元治元年7月19日、「禁門の変」の勃発である。逃げ惑う祐宮(のちの明治天皇)も登場。しかし、薩摩軍介入で形勢は一気に変わり、長州は壊滅。禁門の変は幕府軍勝利で終結した。

江戸城で家茂(磯村勇斗)に祝いの言葉を告げる老中連。しかし、自分の無力さを天璋院(上白石萌音)や和宮(深川麻衣)の前で嘆く家茂。家茂はその無力さを感じつつ、この後、フランスを頼りにしようかと天璋院に告げる。下関戦争までは英国(ハリー・パークス)と協調路線を取っていたフランス(レオン・ロッシュ)が幕府に加担していくその裏ではイギリスとフランスの主導権争いがあったことは言うまでもない。そして、翌慶応元(1865)年にはいよいよ渋沢の運命を大きく変えるパリ万博参加のオッファーがフランスから幕府になされるのであるが、実際に行くのはまだちょっと先の話。

さて、長州が賊軍となり、尊皇攘夷ももう無理と悟る篤太夫たちであったが、水戸ではまだ天狗党が……。悲しいのは見果てぬ攘夷の夢に担がれることになってしまった武田耕雲斎(津田寛治)なのであった。

江戸の円四郎邸。引っ越しの準備をするやす。前回貼ってあった伏線(掛け軸の話)の回収。案の定、そこには円四郎からやすへ宛てた手紙が隠されていた。その手紙を見つけ、涙するやす。そして、庭先に登場する円四郎は「新しい世はめっぽうおかしれえにちげえねぇ」と。

再び江戸から京へと集めた人びとを連れて向かう篤太夫一行。中山道中でひそかに千代(橋本愛)やよし(成海璃子)にも会う。篤太夫は聞かれもしないのに「一度も悪所通いすることもなく、家のことばかり考えておった」と千代に言うが、本当だろうか?(笑)

さて、見せ場は一行の通行を妨げようとする岡部陣屋の悪代官・利根吉春(酒匂芳)にリベンジするシーン。一橋家用人の猪飼さん(遠山俊也)の啖呵が格好いい。しかし、その気持ちを伝えたい恩人の円四郎はもう京にはいないのであった。京で慶喜に兵を連れて帰ったことを報告する篤太夫と成一郎。陪席する川村恵十郎(波岡一喜)の顔面の刀傷がすべてを物語っていた。

次回は京に上ろうとする天狗党を討伐する慶喜、そして長州征討。今回、台詞の中のみの登場だった小栗忠順(武田真治)も登場する。

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