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『鎌倉殿の13人』第18回「壇ノ浦で舞った男」(2022年5月8日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

いよいよ平家滅亡のクライマックスへ。

義経(菅田将暉)軍と範頼(迫田孝也)軍で平家を挟撃しようとする頼朝(大泉洋)であったが、瀬戸内の制海権をいまだ掌握できない範頼軍は九州上陸に苦心している。そこへ三浦義村(山本耕史)がやってくる。義時(小栗旬)は九州の平家方代官に苦しめられている豊後水軍を味方につけることができると見て、交渉を義村に頼んでいたのであった。輜重兵站問題を解決した範頼軍は豊後へ渡り、筑前に攻め込んだ。逃げ道を断たれる平家。その命運は風前の灯火であった。

一方、暴風雨の中、四国への渡海に苦労する摂津の義経軍。比企能員(佐藤二朗)はいったん京に戻ることを義経に進言するが、義経はそれを退ける。梶原景時(中村獅童)は舟に逆櫓をつけることを提案するが、義経は「逃げるための道具をつけてどうする」と言う。景時は「進むのみを知って、退くを知らぬは猪武者である」と反論し、口論となる(いわゆる逆櫓論争)。結局、景時が折れ、義経は自らの手勢だけで屋島に奇襲をかけることに。心配する畠山重忠(中川大志)に景時は「九郎義経が神に選ばれた男なら必ず成功する」と言い、義経はまさに奇襲に成功するのであった。景時はこの勝利を見て、義経があとで必ず頼朝と対立することを確信したはずである。

鎌倉の頼朝は義経の連戦連勝の報に接し、調子に乗って次の鎌倉殿を狙うのではないかと不安を抱き、義経を総大将から外し、景時に任せるという文を出す。長門の壇ノ浦に布陣する源氏軍にそれが届くが、義経は「今さら何を言い出す」と拒否。景時とまたもや口論となるが、それは義経=総大将を皆に納得させる芝居であった。

元暦2(1185)年3月24日、いよいよ壇ノ浦の合戦が始まった。陸上に陣を張るのは範頼軍。最初は源氏方が劣勢であったが、兵ではない漕ぎ手を狙うという掟破りの義経の戦術によって形勢は逆転。ヴィバルディの四季がVFXを駆使した義経の八艘跳びをふくむ戦闘シーンを盛り上げる。

もはやこれまでと宗盛(小泉孝太郎)。三種の神器をもち入水する女官たち。そして、最後に幼い安徳天皇(子役 相澤智咲)を抱いて入水する二位尼(大谷恭子)。義経が「やめろ」と叫ぶのであったが……。

戦いが終わり屍体が打ち寄せられている海辺。義経と義時のシーン。「これから先、私は誰と戦えば良いのだ。私は戦場でしか役に立たん」という義経自身の言葉にこれから先の自らの運命は凝縮されていた。

鎌倉では頼朝が読経する中、時政(坂東彌十郎)が「山木攻めから5年、あっという間でござった」と言うが、頼朝はそれに対して「平家を倒せても帝と宝剣以外の神器を失った。これでは勝ったことにならん。九郎のやつ叱りつけてやる」と。しかし、寝所では政子(小池栄子)とともに平家を亡ぼしたことに涙する頼朝であった。

京に戻った義経は院の御所で後白河(西田敏行)から褒められる。鎌倉の御家人たちは義経に不満を漏らしつつ酒を飲み交わしている。一方、一足先に鎌倉に戻った景時は、頼朝に対して義経の所業を批判的に報告。「すぐに呼び戻せ」と頼朝は言うが、検非違使に任じられている義経を呼び戻すことはできないと大江広元(栗原英雄)。義経も鎌倉に戻って兄頼朝と直接話をしたいのだが、後白河はそれを許さない。そこで一計を案じたのが、丹後局(鈴木京香)。罪人の宗盛を鎌倉に護送するという役目を義経に命じれば良いということで、義経は検非違使として宗盛を護送し鎌倉に戻ることとなった。

鎌倉への道中、義経は宗盛に「お前にも兄がいたな」と言うと、宗盛は「兄(重盛)が生きていれば平家もこんなことには……」と。さらに義経が「仲違いしたことはあったか」と問うと、「ござらぬ。心を開き合ったことがなかったゆえ。それでも信じ合っておりました。それが兄弟というもの」と。今回、この宗盛の言葉が個人的には一番刺さった。

鎌倉に向かっている義経が後白河と通じていると讒言する景時。頼朝はそれを信じ(たという体で)「九郎を腰越で留め置け」と命じる。この仕打ちを訳がわからないという義経に対して頼朝に文を認めることを提案する宗盛。あの腰越状を宗盛が代筆したという設定! これはなかなか面白い。腰越状は、平家滅亡でもはやなすすべもなくなった宗盛が放った最後の一矢であったということか!








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