『青天を衝け』第1回「栄一、目覚める」(2021年2月14日放送 NHK BSP18:00-19:00 総合20:00-21:00)
いよいよ大河ドラマ60作品目『青天を衝け』が始まった。NHKの番組サイトでは以下の通りの予告があった。
武蔵国血洗島村(現在の埼玉県深谷市)で養蚕と藍玉作りを営む農家の長男として生まれた栄一(子役・小林優仁)。人一倍おしゃべりの剛情っぱりで、いつも大人を困らせていた。ある日、罪人が藩の陣屋に送られてきたことを知った栄一は、近くに住むいとこの喜作(子役・石澤柊斗)らと忍び込もうとたくらむが…。一方、江戸では、次期将軍候補とすべく、水戸藩主・徳川斉昭(竹中直人)の息子、七郎麻呂(子役・笠松基生)を御三卿の一橋家に迎え入れる話が進んでいた。
舞台は江戸地回り経済圏内の武州血洗島。渋沢家はその地域の豪農であり、生糸や藍玉(藍染めをおこなうための染料)を生産し、江戸に移出している。上記予告の文中には「農家」とあるが、歴史学の専門用語でいえば「豪農」である。消費地としての江戸の発展に伴い、その消費地向けに生産物を移出する商業も営む渋沢家は繁栄していた。栄一の父・市郎右衛門(小林薫)が両刀を腰に差して岡部陣屋に出かけるシーンがあったが、苗字帯刀を許されていたのも経済的な力を背景に岡部藩の御用をさまざま担っていたからにほかならない。要するに栄一の生家は富裕層に属する。
当時の富裕層は意識も高かった。経済的に余裕のあった彼らはその子弟を江戸遊学に送り出すこともあった。歴史学者である高橋敏氏の『家族と子どもの江戸時代ー躾と消費からみる』(朝日新聞社、1997年)によれば、豪農の家では女子であっても江戸に遊学させていた事例もあったという。もちろん、本気で学問を身に付けさせるというよりも教養教育の一環であったのであろう。今で言えば、欧米に留学させるような感覚であろうか。渋沢家も経済的に豊かであり、学問や芸術にも関心が高く、次第に政治的な意識も高まっていったと考えられる。
しかし、ちょうど栄一が生まれた頃には幕府による江戸の消費物価統制策(消費者である武士階層の保護政策であり、一種のデフレ政策)も取られ、その商業的発展に限界も見えてきていた。市郎右衛門が傾きかけていた渋沢の「中の家」(なかんち)を継いで再興に尽力したというのは、そうした中央の統制策に抗っていたという側面もあろう。幼少の頃から栄一にはビジネス感覚があったと言われるが、幕末の経済環境の変化に対応して経営をおこなわなければならなかった実家の状況がそうさせたのである。
このドラマはそうした江戸近郊の農村と江戸幕府中枢との2つの舞台が並行して描かれる。江戸の当面の主人公は、水戸藩主・徳川斉昭(竹中直人)だ。ご存知の通り、水戸藩は「徳川御三家」の1つ、「天下の副将軍」である(ただし、「御三家」という制度も「副将軍」という役職名も実際にあったわけではない。また水戸家は尾張徳川、紀伊徳川よりも家格は低く、宗家に跡継ぎがない場合には尾張か紀伊から出した)。斉昭は第7代当主の治紀の三男。長男の斉脩が33歳という若さで早逝しなければ、第9代当主になることもなかったかもしれない人物である。藩内の派閥争いの末に斉昭が家督を継いだわけだが、藩政改革を実行し、次々と有能な人材を登用していった。水戸藩の軍事演習シーンでそのうちの武田耕雲斎(津田寛治)と藤田東湖(渡辺いっけい)が登場していた。
また斉昭の七男の松平七郎麻呂(のちの徳川慶喜、子役・笠松基生)が御三卿の1つ一橋家を継ぐという話が出て来る。8代将軍吉宗が創設した御三卿家は宗家や尾張家、紀伊家に継嗣がいない場合、将軍職後継候補者を出せる家としてあった。水戸家から一橋家に入るということは、斉昭の台詞にもあったとおり、七郎麻呂が将軍候補としてのチャンスをとらえたということであった。七郎麻呂を一橋家継嗣として12代将軍家慶(吉幾三)に推挙したのは、幕末の名宰相、老中阿部正弘(大谷亮平)。ペリー来航の国難のなか、阿部は苦悩することになるのだが、それは次回以降の話。
さて、斉昭は七郎麻呂を国許で養育していた。普通は江戸に住むわけだが、国許で育てたのは華美な江戸文化に染まって柔弱にならないためであったという。ドラマでは寝床の脇に抜き身の刀を置いてその精神を鍛えるというシーンがあり、このワンカットで斉昭が七郎麻呂をどう教育していたかを見事に描いていた。
烈公・斉昭のスパルタ教育で育てられる慶喜、かたや母おゑい(和久井映見)の愛情たっぷりに育てられる栄一。栄一が父に岡部陣屋に連れて行ってもらえなかったことで家のお蚕棚の藁の中に潜り込んで隠れていたところを母に見つけ出され、「ぎゅっ」とされるシーンは印象的であった。七郎麻呂の場合となんと対照的であることか!
そんな栄一も高島秋帆(玉木宏)と出会うことによって意識が変わっていく。前述したとおり江戸近郊の農村の豪農子弟は江戸に遊学し、知識教養を身に付け、そのなかで政治的意識が高まっていった場合も多かったと考えられる。しかし栄一の場合は、尖鋭な考え方をもっていた秋帆がたまたま岡部藩に幽閉され、そこで出会ったことが重要であった(牢屋の格子越しに出会ったのはフィクションだろうが)。
『青天を衝け』初回のタイトルは「栄一、目覚める」であるが、まさに富裕な実家のぬくぬくとした蚕棚の藁のなかでまどろんでいた栄一が「目覚める」きっかけを得たことを絶妙に表していると思った。
つづく。
【余談】
その1:最初のタイトルバックでテーマ曲の指揮が尾高忠明と出ていたことに気づかれた方も多いと思う。尾高忠明氏は渋沢栄一の曾孫にあたる方である。
その2:栄一が裸で駆け回っているところをおゑいが羽織をもって追いかけているカットがちらっとだけだが映る。マニアには、あれが「おゑいの羽織」だ、とわかるシーン。おゑいはいつもやんちゃな栄一を羽織をもって追いかけていたので、村人からそう言われたということである。城山三郎の『雄気堂々』にも栄一の母のキャラクターを印象づける話として引かれるエピソード。
【追記】
御三家と御三卿の関係について、あと「おゑいの羽織」について少し補足しました。(2021.2.15 9:47)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?