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『青天を衝け』第15回「篤太夫、薩摩潜入」(2021年5月23日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

栄一(吉沢亮)と喜作(高良健吾)は一橋家に召し抱えられることになり、俸禄を与えられる。つまり初任給である。「四石二人扶持、そして京滞在中の月手当てとして四両一分」とは非常に具体的。さらにご丁寧に蔵米手形(蔵米切手とも)と一分金(端数の一分が、重ねられた四両ぶんの一分金と同じ大きさだったのでそのように推察できる)のアップ画像も映し出されていた点は、さすが大河ドラマ。小道具さんの念の入った仕事かと思う。また俸禄だけではなく、栄一と喜作を一橋家に召し抱えるに当たって岡部の殿様と話をつけておいた、つまりちゃんと割愛してもらったと円四郎。「領主の許しもなく百姓を引っこ抜くわけにはいかないだろう」という点はドラマで描かれることなど滅多にないが、非常に大事と思う。

さらに円四郎(堤真一)に武士らしい名前として、栄一は篤太夫、喜作は成一郎と名づけてもらう。喜作が百姓らしい名前で成一郎が武士らしい名前というのはわからなくもないが、栄一の方は、栄一のママではダメだったのかは少し疑問。栄一は篤太夫という名前の響きがじじ臭い感じで少し不満だが、後年、自分の子どもには篤二(とくじ)という名前をつけているので、篤という字自体は気に入ったのかもしれない。

当時の一橋家には多くの人材が集められていた。かつて大橋訥庵らと安藤対馬守襲撃の謀議に加担したとされる原市之進(尾上寛之)、関守だった川村恵十郎(波岡一喜)、旗本の黒川嘉兵衛(みのすけ)などなど。その中でもともと一橋家家臣あった猪飼勝三郎(遠山俊也)は自身の小姓時代の失敗エピソードを披露する。黒川が「ペルリの対応をしていたころのこと」らしい。

栄一と喜作が自炊にも成功し、京での生活に慣れてきた頃、惇忠(田辺誠一)は板橋宿(1)で囚われの身となっている長七郎(満島真之介)にようやく会うことができた。血洗島でその報告をするところに岡部陣屋から戻ってきた市郎右衛門(小林薫)。円四郎が整えた一橋家仕官の件が市郎右衛門にも知らされたのである。その翌日、油を売っている平九郎(岡田健史)のところにおてい(藤野涼子)が油を買いに来る。おていは「里見の八犬士よりも油売りの平九郎さまが……」(2)というコイバナ。農村では生活必需品である油はこうやって買っていたのね〜というシーンである。

再び京の一橋家。円四郎は薩摩の砲術家で摂海防禦台場築造御用掛の折田要蔵(徳井優)を探るべく、隠密として薩摩屋敷に潜入しろと命じる。その京の薩摩藩屋敷には諸国から折田に学ぶべく様々な人びとが集まってきていた。栄一は血洗島近隣に日本諸国の志士たちが集まって来ていたことから諸国の言葉を理解できるようになっていたのだが(3)、その能力でもって重宝され、無事に隠密の役割をはたす。西郷吉之助(博多華丸)とも何度か会ったのは史実。豚鍋を一緒につついたことがあったかどうかはよくわからないが、食べ物に関しては好奇心旺盛であったのでさもありなん。ちなみに慶喜も薩摩の黒豚が好物だったらしいので、京でこの時期に食べたのかもしれない。

薩摩藩精忠組の三島通庸(松村龍之介)も登場。すでに寺田屋事件にも加担していた過激派の三島は、一時は国許での蟄居謹慎を命じられていたが、この頃西郷の引き立てによって復権して、京に。さすがにピリピリしている感を出していた。三島通庸はのちに銀座煉瓦街構想に東京府参事として、栄一は大蔵省官吏として参画するので、ドラマの後半に二人が再び出会うシーンがあるのかもしれない(そう言えば、2回前の大河ドラマ『いだてん』では通庸の息子の三島弥彦(生田斗真)が出ていたことを思い出した)。

政局の話。慶喜は将軍後見職を降りて薩摩が狙っていた禁裏御守衛総督のポジションを得ることに成功(平岡、黒川の尽力による)。小日向文世の息子二人(小日向星一、小日向春平)がそれぞれ演じる京都守護職の松平容保、京都所司代の松平定敬とともに朝廷を取り込む一会桑体制(4)を成立させた。

今回の『青天を衝け』は、次回(『恩人暗殺』)平岡円四郎が暗殺される前の回ということでその前振りといった感じの回。そのキャラクターをユーモラスに演じられているせいもあってか、次回、暗殺されるという感じはまったく醸し出されてこない。そこを、大久保一蔵(石丸幹二)に「天下の権朝廷に在るべくして在らず幕府に在り、幕府に在るべくして在らず一橋に在り、一橋に在るべくして在らず平岡(・黒川)に在り」(5)と言わせるなどして補っていた。それにしても徳のなさそうな久光を池田成志は上手に演じている。一方、水戸や長州の攘夷派の動きはさらに動きを活発化させていく。次回は、筑波山での水戸天狗党の挙兵その後やあの池田屋事件なども描かれていく。

注)
(1)ドラマでは板橋宿と出ていたが、長七郎が牢に入れられていたのはのちに新選組の近藤勇が処刑されたことでもよく知られる平尾一里塚付近(今の北区滝野川)だと考えられる。
(2)以前、高崎城襲撃計画謀議の回で喜作も『八犬伝』のエピソードを引いていたが、農村部でもよく読まれていたのだろう。
(3)五代才助(ディーン・フジオカ)初登場のところで栄一たちが五代のしゃべっている言葉を即座に薩摩のそれだと理解していた謎が解けた。
(4)歴史学用語。ドラマでこの言葉が登場するわけではないが、重要。故・井上勲先生(学習院大学)が提唱した。
(5) Wikipediaによると、この流言の出典は『朝日歴史人物事典』(執筆者・井上勲)からとのこと。大元はあとで調べておきたい。



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