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『鎌倉殿の13人』第8回「いざ、鎌倉」(2022年2月27日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

冒頭、政子のもとに届いた頼朝からの文には押し花が貼り付けてあって、いかにも雅な感じを漂わせている。そういう文が実在しているのかどうかは知らないけれども頼朝のキャラクターはあくまで雅な都人であり、粗野な坂東武者とは違うことを強調している。しかし、頼朝の弟である義経は、野武士を謀って矢で射殺してしまうような人物として描かれる。坂東武者とは違うが、頼朝ともまた相当に違う、そういう設定である。

さて武蔵国から鎌倉へ入るには亀ヶ谷(かめがやつ)を抜けて行く。その亀ヶ谷に頼朝の父・義朝の菩提を弔ってきたという岡崎義実(1)は頼朝に是非とも御所を亀ヶ谷にと義時に頼む。義時は佐殿に進言すると安請け合いをするのだったが、そこに大庭方の畠山重忠(次郎)が投降してくる。和田義盛、三浦義澄らは反対するが、上総介広常は頼朝に従うと。頼朝は若くて見栄えのする重忠を先陣に命じ、広常はそのあとにしたがう形に。「やってられない」広常は馬上で酒を喰らう。

一方、甲斐武田に援軍交渉に向かっていた時政のもとに義時が派遣され、武田信義と会う。「法皇の院宣ガーッ」とか言っていた信義であったが、頼朝の見込み通りあっさりと味方になることを承諾。時政と義時は無事にお役目を果たした形で頼朝のもとに帰参したが、義時は、岡崎義実に頼まれて提案した亀ヶ谷御所案を頼朝に一蹴されて、凹んでしまう。また寄せ集めの頼朝軍の中にはそこはかとなく隙間風が……。そこに良いアイディアを出したのは三浦義村であった。義時は義村案にしたがって酒宴に頼朝を参加させ、広常には頼朝を「武衛」と呼ばせることで何とか皆の気持ちをひとつにまとめるのであった。

石橋山の敗戦からわずか一ヶ月半で鎌倉入りした頼朝軍は総勢三万。梶原景時も大庭軍を離脱して、大庭・伊東の連合軍は万事休すである。平家には頼らないとする大庭の言葉に逆らって平家への援軍要請に向かう伊東祐清もラストで捕らえられてしまう。

一方、政子の鎌倉入りを一日延ばすことを命じる頼朝は、愛妾亀との時間を過ごす。義経一行も鎌倉入り目前。芋に箸を突き立てて喰らう義経。目的のためには手段を選ばない義経のキャラ設定がここでも出されていた。

政子らの着物を調達しに梶原邸を訪ねる義時。景時も渡りに舟とそれに応じる。再開した頼朝と政子は鎌倉の景色を眺めながら「京に上り、平家を滅ぼす」と。

注)
(1) 岡崎義実は三浦一族で、妻は中村宗平の娘。初回でも書いたのだが、我が中村の親戚筋(?)である。


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