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【解説】ディズニー本『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日

ネット上にファンタジースプリングス関連の情報が溢れている今日、東京ディズニーリゾート関連の情報から見えてくることを【解説】していきます。いずれ私が東京ディズニーランドを運営するオリエンタルランドを退職した理由も示させていただきます。
 
最初は良い話から。
 
『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日 』を読んだ|ナガ (note.com)
 
ペリエ、ペプシコーラ、スミノフのウォッカ・トニック──ディズニー経営陣が次々に注文する飲み物が、すべて小さな冷蔵庫の中から取り出されていった。
 この魔法に一同は仰天した。
「あれはアイスボックスじゃなくて、マジックボックスだ」
 とロン・ケイヨが 呟いた。
 もちろんこのマジックにはタネがあった。
 三井物産ロサンゼルス支店の澤登がディズニー側との仲介役として起用し、帝国ホテルでのプレゼンテーションにも同席していたジャック・ホワイトハウスというPRマンがすこぶる有能な男で、ディズニーの幹部が昼食やパーティーの席で日頃どんな食前酒を飲んでいるかについて、事前に詳細なリポートを送っていたのだ。堀たちはそのリポートを分析し、各人の注文のパターンが多くても3通りくらいしかないことを摑んでおり、そのおかげで小さな冷蔵庫にすべてを詰め込むことができたのである。
<引用終了>
【オススメ!】『新装版「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日』馬場康夫:マインドマップ的読書感想文 (livedoor.biz)より
 
今は手元にはありませんが、この本を読み、なぜ誘致合戦をしていた三菱地所にオリエンタルランド側が勝利したのかが手に取るように分かりました。一言で表現すれば「熱意」でしょう。舞浜上空にディズニー社の幹部を乗せたリコプターまで飛ばしたのですから。
 
さて、上記noteには3人のオリエンタルランドに勤めた人が紹介されています。堀貞一郎氏、高橋政知氏、奥山康夫氏です。
 
堀貞一郎 - Wikipedia
 
高橋政知 - Wikipedia
 
奥山 康夫<br>元オリエンタルランド専務<br>ディズニーランドの挑戦 (media21-c.co.jp)
 
堀貞一郎氏は上記noteにあるようにホーンテッドマンション ホーンテッドマンション - Wikipedia のゴーストホスト(ナレ―ター)です。なお、Coogleでホーンテッドマンションを検索すると「お化け屋敷」とありますが、正しくは「亡霊の館」です。
 
高橋政知氏はまさに東京ディズニーランドの生みの親です。ウィキペディアの内容は大筋では正しいのですが、大事な点が抜け落ちているところが見受けられます。一つは、ディズニー社との契約締結に関する三井不動産の非協力的姿勢が書かれていないこと、もう一つは高橋社長が渡米し契約を「強行」した際にも同行し、東京ディズニーランドの最高運営責任者として献身した上澤昇元副社長の名前が見られないことです。
 
恐らく、三井不動産と現経営陣の思惑が影響しているのでしょう。
 
奥山康夫氏は上澤昇氏をトップとして長くアメリカでパーク運営を学んだ「オリジナル・ナイン」の一人です。ちなみに9人の内6人(上澤昇氏を含む)が運営部に所属し、パーク運営の中心として活躍されました。
 
最後に紹介したnoteの残念なところを指摘しておきます。
 
当該書籍『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日』には東京ディズニーランドが成功を納めた最大の理由が書かれていますがこのnoteでは触れていません。
 
その内容を知ることにより、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーの違いが明確になるのですが。
 
その最大の理由とネット検索されない「オリジナル・ナイン」についてはいつかnoteに記しますのでお楽しみに。

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