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日本でキリスト教が広まらない理由② 日本教

日本でキリスト教が広まらない理由➀の最後に以下のように記しました。
 
『神の発見』に記された「無魂」は、時を経て「日本教」へと変わっていったのだと私は考えます。そして、その「日本教」が現在、世界から相手にされない国日本に変貌しつつあると私は考えています。
 
そもそも論からです。そもそも、幕末までの日本には宗教という言葉も、哲学という言葉もありませんでした。一つの概念だったのです。困った欧米人は「religion」を宗教と訳し、「philosophy」を哲学と訳したそうです。
 
「religion」を和訳すると「宗教」になりますが、元々の意味は「生きがい」であり、Making money is his religion.金もうけが彼の生きがいだ(小学館 プログレッシブ英和中辞典)というように使われます。明治時代以前に生きた日本人の「生きがい」が、祭りなどの宗教的思想に伴うことであったと私は推察しています。
 
 
『日本人とユダヤ人』 山本七平ライブラリーより
しかし日本教という宗教は厳として存在する。これは世界でも最も強固な宗教である。というのは、その信徒自身すら自覚しえぬまでに完全に浸透しきっているからである。日本教徒を他宗教に改宗させることが可能だなどと考える人間がいたら、まさに正気の沙汰ではない。
 
川端康成氏がハワイの大学で言ったことをお忘れなく。日本では「以心伝心」で「真理は言外(言葉で言い表せないところ)」であるのだから。従って「はじめに言外あり、言外は言葉と共にあり、言葉は言外なりき」であり、これが日本教「ヨハネの福音書」の冒頭なのである。
 
そして実にこまったことに、日本教の根本理念を形成する「人間」なるものの定義が、すべて言葉によらず、言外でなされていることである。従って日本教の世界に外国人は絶対に入れないのである。
<引用終了>
 
日本教では、ヨハネの福音書の「はじめに言葉(ギリシャ語でパトス)があった」は、「はじめに以心伝心・阿吽の呼吸があった」になると述べています。確かに日本は世界一コンテクスト(文脈、言葉によらないコミュニケーション)が高い国です。その上、同質を前提にした人間関係によって成り立つ社会づくりを行なってきたことが、日本教と言われる理由の一つでしょう。
 
①で儒学などの東洋思想が、この国のキリスト教者の少なさに影響していると記しました。もう少し東洋思想について記します。
 
NHKの大河ドラマ「晴天を衝け」でも少しだけ語られた水戸学について『徳川慶喜(山岡宗八歴史文庫 講談社)』からその部分を引用します。
 
西郷(隆盛)は唐突に訊ねてみた。
「先生、教えを乞うとうごわす」
「おおなんじゃな」
「水戸の精神・・・・・水戸学を、一言にして申せばどげのものでごわそうか」
「あ、そのこと」
東湖は、考えもしなければ澱みもしなかった。
「三円は、いや、わが薩摩では、水戸学のもとは朱子学、そう申すものがごわすが」
「ハハハ・・・・・」
東湖は、笑いながら首を振った。
「いかにも。たしかに朱子学の通鑑網目を背景にはしておる。しかしわが父藤田幽谷は、孔子に還れと称えて熱心に古学を加えた。ところで実践の伴わない学問では今の世の役には立たぬ。
「仰せの通りで」
「そこで実行第一の陽明学を貴ぶ。つまり水戸の政教は通鑑綱目に古学と陽明学を加え、そこに日本人本来の、性根を通したものとご承知ありたい」
西郷は低くうなって、また盃を重ねた。当時の西郷の心を大きく捉えているのは陽明学と禅であった。禅は島津家の菩提寺、福昌寺と無事和尚に参禅している。水戸学が見たければ、老公斉昭を見よと言われた簡潔な一言は気にいった。
<引用終了>
 
「知行合一」の言葉などで知られる陽明学もやはり儒学から来ています。日本教、明治維新前から今日まで引き継がれていると言って良いでしょう。
 

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