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【11日目】恋と愛の境界線、そして人間関係へ(レンアイのトリセツ)

◆愛とは何か? の『答え』をレンアイに活かす

 前回は世界で初めて【愛】とは何か?という疑問の答えを、モトというものを通して明らかにしましたね。すなわち

【愛】とは、モトの量である

というものでした。もうホントに、たったひとこと、これが全部なんです。

 そして愛というのは「気持ち」そのものではなく、「その『気持ち』になれる【状態】」を指しているのでしたね。その状態こそが『ココロがモトをいっぱい持っている』という状態だ、ということです。だからやっぱり愛はモトの量なんです。

 恋愛の場面でコレをどう活かすのか? が今日のテーマなんです。コレが大事なことですよね?

◆愛と、愛でない関係との境い目

 中級編のこれまでの話で、恋愛というものの『仕組み』をモトの概念を通してお話してきました。恋愛の気持ちというのは次のプロセスで出るんでした。

・カラダから信号が出て【恋愛スイッチ】がONに
・ココロが勝手にモトを爆増させ【好き嫌いゲージ】がマックスに
・増えたモトを【恋愛アピール合戦】でドバドバ交換し合い、二人とも幸せな気持ちに

 この状態は「【愛】とはモトの量である」という定義だと、たしかに「愛し合っている」ことにはなるんです。

 ですが、恋愛スイッチがOFFになると「恋愛アピール合戦」が途絶えてしまうんでしたね。そうすると気持ちがスッと消えてしまいます。モトの量が足りなくなるので、二人の関係は

【愛】ではなくなる

んです。そういう理屈で、そこにはただの『人間関係』だけが残るんでしたね。

 とはいえ、すべてのカップルが「恋愛スイッチOFF」でお別れしているかというと、そんなことないですよね。結婚している・いないにかかわらず、お互いがお互いの素晴らしいパートナーとして一生を共にするカップルも、世の中にはたくさんいます。

 この人たちは、ずっと「恋愛スイッチ」を入れ続けているのか?というと、そんなことは肉体の仕様上、不可能なはずです。カラダは老化しますし、ココロも常に同じではありません。

 ではそういう人たちがどうしているのか? というと、結局は「恋愛スイッチOFF後の『人間関係』」でも「【愛】の状態」をキープしているのです。

 そんなことができるの? とお思いかもしれませんが、思い出してほしいのは、入門編や初級編で何度も出てきた

「二番目のモトあつめ」

というメカニズムがあることです。

◆おしどり夫婦の「ヒミツ」

 二番目のモトあつめ、とは、自分のココロで増やすモトあつめ、でしたね。好きなものや心地いいものに触れることで、好き嫌いゲージを「好き」に動かし、ココロがモトを生み出し始める、そういうモトあつめです。

 これをやるためには、【アタマ】の使い方が重要なんでしたね。恋愛のときの「好き」は

カラダ(恋愛スイッチ)
 ↓
ココロ(恋愛の気持ち)

のプロセスですが、普通はこうではなく

カラダ(認識)
 ↓
アタマ(習慣や信念)
 ↓
ココロ(感情)

というプロセスで出てくるんでした。この【アタマ】に

どんな信念・習慣があるか?

で、感情が変わるのですが、恋愛スイッチがOFFになったあとはこの何らかの「アタマの中身」を経て「好き」という気持ちを出さないといけないわけです。

 つまり、好きな人と百年続く関係を維持したければ、相手に対して「好き」な気持ちを出しつづける「アタマ」が要る、ということなんです。

◆相手を「役割」で見ている『アタマ』

 では僕たちが普段、どんな「習慣・信念」で相手を見ているか?というと……実はたいていの場合

・相手が「自分にとって」どういう『役割』を持っているか?

こういう「考え(信念)」でもって他者を判断しています。これは「習慣」でもあるので、もちろん無意識にです。

 たとえば恋人。恋愛スイッチがOFFになっても、別れるまでは「恋人」ですよね。

 恋愛スイッチがOFFになったあとも、僕たちはアタマで
「この人は私の恋人だ」
と判断しています。まあ至極当たり前です(アルファが冷めたあとの、ベータのことを思い出してください)。

 当たり前なんですが……ここが難しいところ。なぜかというと、この

「恋人」という『役割』

を、相手に「期待してしまう」からなんです。こういうことを

【役割の押しつけ】

と呼びます。次回、恋愛スイッチが切れたあとの人間関係を壊す【役割の押しつけ】を詳しく見ていきますね。

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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)