忘我回胴帖〜ムナリスク〜 其の一


過去回想 1 大学時代 プロローグ

2002年、当時なんとなく、合格したから入った、みたいな感覚で関西大学の法学部に合格し入学。

で、今はもうないんだけど北斗寮という男子寮に入った。

中学、高校と寮生活してきてまた寮生活かよ、ってな感じではあったが寮費が毎月2万くらいと安かったのでまぁ仕方ないかみたいな感じだった。


その男子寮が今思えば糞みたいな体育会系の寒いノリで上下関係が厳しくて

ま、中学高校ともにそんな感じだったから麻痺してたのか、あるいはまたこれか、みたいな感じだったのか…仕方なく我慢。

その男子寮ではグループという区分があって、俺は比較的緩そうだな、ってとこに狙いをつけて目論見どおりにそこに配属された。


確かパンプキンってグループだった。温厚な先輩ばっかで当たりを引いた。

やったぜ。


で、中学高校と月に一回くらいしか外出機会のないような缶詰生活をしていた俺にとって大学時代は寮生活といえどもいきなりの解放感に溢れていた。


まずは中学高校時代にやりたくてもやれなかったゲームを散々やり込んで、授業はサボりまくって、先輩や同級生達と徹マン三昧など…


まぁ可愛いもんだが自分の時間、自分で稼いだ金を好きなことに全力に費やし、堕落した感じだった。

女っ気は微塵もなかったが😅


バイトは派遣のレジ打ち。サボイってゆースーパーマーケッツの基本夕方のレジ打ちから閉店作業まで任されたやつ。


で、俺が初めてパチスロを意識したのは同じグループの先輩…名前は確か長島さん(仮)


その人が部屋の前の廊下におもちゃみたいなパチスロ実機を置いていた。んでたまーに遊んでいた。

そのときはなんだこれ、みたいな感じだったし一回も触らなかったんだけどね。まぁ、先輩のものだから勝手に触るわけにもいかないんだけど…


まず全然興味がなかった。


今思えばあれはクランキーコンドルだったと思う、多分ね。

で、その先輩はキンパルのリセモとかスープラのハマり台しか打ってなかったみたいでそこそこ稼いでいたみたいだった。(先輩同士の会話をなんとなく思い起こすとそんな感じの内容だった)


その長島さんが同じグループの後藤さん(仮)や同級生のヤスが普通にパチスロで負けてるのを嘲笑して「アホやなーキンパルの朝一だけ打っときゃいいのに」と言っていたのをなんとな〜く覚えている。

で、堕落した大学生活は1年半ほどで終了。俺は単位落としまくって卒業する気もなかったし大学をドロップアウトし寮生活も終了。

結局大学生時代はパチスロやらなかったし、同級生のヤスって奴からほとんど負け報告ばっかだったので「アホやなーパチスロやらんかったらええのに」と思っていた。


ま、そんなこんなではあったがうっすらとしたパチスロとの邂逅であった。

そして寮生活から一人暮らしのフリーター時代へと舞台は移る。

#寮生活 #キンパル#堕落#大学時代#先輩

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