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【掌編】たどり着けるかな

 なんとなくインターネットを眺めていると、生き方、暮らし方、人生の道探し、のような記事にばかり目がいってしまう。
 今日のニュースを見ていたはずなのに。最近発売になった雑誌の付録になにかいいものはないか、比較していたはずなのに。プチライフハック術に感心していたはずなのに。気がつくと、身の回りを整理し、厳選し、ラクに、でも意識は高く、生きていこう、生きていける、と、人生を鼓舞する言葉を拾っている。
ものすごく困っているわけじゃないし、たいそうな不満を抱えているわけでもないのだけれど。
 いや、不満はある。ささやかな不満はいくらでもある。それをなんとかしたいって心のどこかで思っているのだろうか。
 なにがしたい? 問題解消? 人生の巻き返し? それとも、ささやかな仕返しとか?

「新しいこと始めたいよね」
 特に惹かれるのはそういう記事だ。今日もそんな見出しに目が留まる。なにかやってみたい。始めたい。そういう思いに、定期的にとらわれる。
「そう思いはするんだけど、なかなかチャンスがない」
 うんうん、確かに。
「自分の中からきっかけが出てこないなら、外から持って来ればいいって考えたんです」
 え、外からってどういうこと?
「他人の力をあてにする。簡単に言ったら、知らない人と出会って、知らないことをしてみようって」
 へええ。共感しつつ記事を読む。そして「んっ?」と思う。記事の中に、珍しい苗字が出てきた。

 今日、たまたま聞いたことがある。
「ウチは夫がそういう仕事をしているから」
 なんの話からの流れだったか、いまひとつわからない感じではあったけれど、職場の知人から、配偶者の存在と彼の職業を聞いた。
 へえ、ちょっと珍しい仕事だな、と思った。
 話をしていた彼女は名前も少し珍しい。
「それがいつでもちょっとだけ煩わしい」
 たしか以前、苗字についてそんなふうに言っていた。
 平凡な名前で同学年生に同姓同名が居ることも珍しくない私にはうらやましい名前だけれど、彼女にはちがうようだった。
「必要がなければ旧姓を名乗ることにしている」
 たしかそんなふうにも言っていた。
 ということは、珍しい名前は配偶者の、彼の方の苗字だということか。彼は珍しい名前で、しかも珍しい職業についている。平凡な名前でただの事務職の私にはちょっと想像がつかないな。そんなことを思った。

 今、読んでいる記事の中にも珍しい苗字が出てきた。
「異文化交流っていうんですかね。ネットでやりとりをした相手なんかと積極的に連絡を取っていく。そうやって、なにか始めようっていうチームを作っているんです」
 そのチームの中に名前はあった。
「作家のボクに、出版関係の鈴木さん、教職を執る渡辺さんに、映像関係の奈佐さん、アパレル関係の土屋さんに、農業を営まれる山本さん」
 たしか昼間、彼女の旦那さんは映像作家をしていると聞いた。偶然か?
 記事に付いていた作家のSNSリンクをクリックする。
 映像関係の奈佐さんは動画投稿で人気の男性のブレーン担当で、他にも何人かのコンサルティングを行なっているらしい。私でも知っているおもしろシリーズや、ちょっと気になるドキュメンタリー動画を、彼は協力作品として宣伝していた。
 最近の投稿をざっと眺めたところで、彼のフォロワーを確認する。彼のアカウントは何千人もにフォローされているけれど、彼の方からフォローしているのは僅か十数人だけだった。
 彼がフォローしたいと思うのはどんな人だろう。そんな純粋な疑問と好奇心から、十数人のアイコンを眺める。さっきの作家の名前があった。人気ユーチューバーと芸能人が数人。そしてトイプードルが一匹。それだけだった。なんとなく、丸枠の中で首を傾げるトイプードルの写真をクリックする。
 ファーファという、そのトイプードルがアイコンのアカウントは、昨夜、新発売のチョコレート菓子の写真を投稿していた。「さっそくゲット!」の文字が書き込まれた写真には、お菓子のパッケージの後ろに、淡い木目調のテーブルと、白と黄緑というポップな配色の椅子の一部が映り込んでいる。ありふれたものかもしれないけれど、テーブルと椅子は職場の休憩室にあるのと同じものだった。
 ふうん。そう思って画面をスクロールする。数日前には、マスク姿で鼻から下、鎖骨下あたりまでを写した写真が投稿されていた。「マスクチャーム、かわいいかも」と書かれている。私はこれにも見覚えがあった。流行っているから買ってみた、と見せられたアクセサリーだ。マスクの形状も、少しだけ見える髪の雰囲気も、まちがいなく職場の知人、彼女のものだと思う。
 偶然だなぁ。図らずも知人のSNSを見つけてしまった。なんとなく画面をスクロールして、流し見る。買ったものや食べたものの写真の間のところどころに、びっしりと詰め込まれた文字の投稿が挟まれていて、目が留まる。
「なにあれ信じられない」「最低だな」そんな言葉とともに、Nさん、H子、なんて名前が並んでいる。どうやら不平、不満に、悪口のようだ。
 これは見ないほうがいい。知り合いのものではなくっても、気分が悪くなるだけだ。そう思って画面を戻そうとしたときだった。田中、の文字がパッと目に飛び込んできた。
「田中って嫌だ。まちがいを見つけたらいちいち言ってくるんだもん。そっと直しておいてくれればいいだけの話じゃない。ほんと面倒。あいつの長い髪も気に入らない」
 ああ、そう、と思う。
 田中。平凡な名前だ。けれどあの職場に田中は、私しかいない。
 教えてくれてありがとう。提出前に気づいてもらえて助かる。またお願い。そう言っていたのは嘘だったのか。わざわざ匿名で書く悪口のほうが嘘ってことはないだろう。
 ああ、そう、と思う。
 偶然だなぁ。図らずも知人の本心を見つけてしまった。偶然が偶然を呼ぶ。うん、呼んだ。
 友達の友達は友達だったと聞くことがある。これを今日の出来事に言い換えると、フォロワーのフォロワーは知人友人関係者、といったところだろうか。くだらない考えが次々と頭に浮かんでくる。けど、そうか。そうだ。私は私の知らぬところで、悪口を言われていた。
 どうせなら、彼女の他の発言も全部読んで、誰のことをどんなふうに思っているのか知ってしまおうか。そして現実世界ではどのような振る舞いをしているかを思い出し、検証してはどうだろう。定期的に起こる、なにかやってみたい、始めたい、そういう思いを、これを活かせ、という偶然なんじゃないか。
 いろんなことがぐちゃぐちゃと思い浮かび、そしてそれらは急に、ひらめきに変わった。
 私はファーファというトイプードルが投稿した文章の中で、最も新しい悪口をひとつ選び出した。それを参照する形にして、発言を書き込む。
「ショック。奈佐さんの奥さんがこんなことつぶやいている人だなんて。奈佐さんはご存じなのかしら。東城崎先生は?」
 もともと、作家の東城崎先生が書いた、新しいことを始めたいという記事から、彼女のSNSにたどり着いた。出発点に話を戻しておくべきだ、とひらめいたのだった。匿名の世界に実名で存在する、珍しい苗字のお二人の名前を書いている。これはきっと、お二人の元に届くだろう。匿名の悪口が、悪口を言われた本人に届くくらいなのだから、きっと届く。
 新しいことは始めていないけれど、なにかを得たような充足感があった。問題が解消した? 人生を巻き返した? それとも、ささやかな仕返しができたとか?
 そして学んだ。どこであっても、余計な情報は出さないに限る、と。
 いや、すでにわかっていたことではある。何年も前から、ただ読んだ本の表紙を投稿しているだけの自分のアカウントを見て、私は確信する。書き込みを読み、投稿者が何者であるかを探りたいと望んだとしても、彼女は私のところには決してたどり着けないだろうと。そして私は職場でもこれまで通り、素知らぬ顔をする。彼女は私の本心にも、決してたどり着くことはできないだろう。


<了>

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