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きづき 221229

先日まとめとふりかえりをしたばかりですが、直近での推しごとが終わったところでいろいろと気づいたことがあったので、記録として書き残していきたいと思います。

今年最後の現場はとても楽しい時間でした。どんなに距離があっても全く気になりません。地方から向かうので現地にいる時間の倍以上が移動時間ですが、行きは推しくんに会える高揚感でいっぱいになっているし、帰りは楽しかった時間を思い返したり充実感で満たされているので、全く苦になりません。しあわせいっぱいの年末です。
が、現場について絶対に目にしてしまう同担、隣にいる同担に対してだけ、開場・開演までの待ち時間は何とも言えない気持ちで過ごしています。同担の存在はなくならないので、どうすることもできないのですが私は何がこんなに嫌なんだろうと現場から帰った後黙々と考えていました。
基本になるのは「同族嫌悪」かなと思っていて、同担の推しくんに対してのリアクションや歓声、身振り手振りに嫌悪してしまう。嫌悪感を抱いたと同時にきっと私も同じような動きや反応をしているんじゃないかなと想像しています。何その動き…と思った瞬間、私も似たような動きをしていることに気づいたり。注意されたことないだけで、隣の人も同じように嫌がっているかもしれない。これは想像上の話ばかりになって答えは出ないし、今も同担と仲良くしたい気持ちもないので、ただただ無に徹するしかない。
以前、「同担を目にしたくないから、現場に行きたくない」と思っていた時期もありました。でも今年下旬行ける現場は何が何でも行くようにしたら、行かないという選択肢はなくなりました。その時その瞬間、そこにいる推しくんの話を聞きたい。それだけのために何でもしたいし、何でもできる。来年はよほどのことがないかぎり全通を目指したい。今はそんな風に思っています。いろいろ考えても最後は「推しくんに会う」>>∞>>「同担への嫌悪感」になるので、現状は嫌悪感とともに過ごす程よいバランスをとっていきたいと思います。慣れればなんとかなるのかも?という気もしてきました。

こういうことをいろいろ考えているうちに、現場終わり反動からの病み期(あるある)が訪れ、どうしてこんな風に好きになってしまったんだろうと、次はリアコ感情ついて分析が始まっていきました。
リアコについて調べると心理学や脳科学、その他いろんな文章が出てきて、面白いです。リアコ・ガチ恋の感情の先にあるものとして「現実逃避」もあれば「ストレス緩和」もあり、このふたつは実感があるのでとてもよくわかります。
本気になればなるほど、こんな感情なんて不毛で空しいと思う日もあるのですが、本気なのでこれまで出来なかったことが出来るようになっている部分もあります。そう思うとマイナスなことばかりではないし、以前より選択肢が増えた気がします。何かを理由にやめておこう・しないでおこう、と思ったことも、推しに会いたいという原動力でできてしまった。こうしてできることが増えると、また次の選択肢が増えている。そういう側面もありました。これはプラスにもマイナスにも広がっているので、今まで病まなかったことで病むことも起きているけど、これも病むより好きのパワーが強いので今はこれを大事にして生きていきたい。
今年は今までより強く「いい訳せず、自分のしたい・やりたいことを大事にする」ということを意識して行動出来たと思います。

深く考えることも時には良いかなと思うのですが、日々はTwitterで同じように同担拒否・リアコに関してのつぶやきに共感したり、自分自身もつぶやくことで心の安寧が保たれています。SNSに悩まされてはぐちぐちすることが多いですが、これは本当に心の癒しです。

あといくつか箇条書きでメモ。これはまだはっきりと文章化できないけど、忘れてしまわないように2022年のきづきとして書き記します。

・承認欲求と自己顕示欲
これ、二つの意味をごちゃごちゃにしてるな…と気づきました。ふたつを兼ねている場合もあるし、さて自分はどうなんだろうと振り返ってみると、自己顕示欲はあるけど承認欲求は少なめなのか?とか。まだじっくり考えてみたい。

・メタ認知
これも言葉だけぼんやり認識していて、良く調べてみるとこれを訓練というか、鍛えたり意識することは大切なのかも…と思い始めました。割と自分の感情優先でそれを基準にして行動したり判断しがちなので、対人関係や仕事上でも円滑にできるようにしていきたいなと思いました。まだあまり深く考えられていないので、まずはメモ。

・忘れること
今通院している病院で先生が言っていたことでもあるし、数年前にも恩師に言われたことでもありました。感情や記憶を「忘れていくこと」は大切であるということ。これをうまく理解できるまで時間がかかったなあと気づきました。こんな風に何年か前に聞いたことを「ああこういうことだったのかも」と後になって思うことは多いです。これもそのひとつ。
自然と忘れてしまったことも、忘れたくて意識して忘れたことも、自分がしたことも、相手にされたことも、忘れる。それはまた別の感情でもあって、まだここもうまく文章化はできないけれど、気づいたなというメモ。

年始より少しずつ整理されながら終わっていく年末です。
いろんな経験が出来たことで、自分自身をしっかりと振り返ったり、深く掘り下げたことが出来たこと一年でした。

今年も一年お世話になりました。
また来年も、よろしければよろしくお願いします。
読んでいただきありがとうございました。