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推しごと 230703

毎月連続更新を途絶えさせてしまった…と思って先月分を読み返してみたら、すでに4月時点でも飛ばしていて、さらに同じような記事の書き始めをしていたので自分の記憶力低下に驚きました。

前回のを読み返してみると、イベントがないことと私生活のしんどさからほとんど推しに関することを書いてもいないよくわからない記事になっていて、結構参ってたことを思い出します。推しのことを考える余裕がないけど、推しのことを考えたい、それだけは譲れない。けど生活が…という時期でした。やっと今大体大まかなことが落ち着いて、穏やかで静かな時間が出来始めて、また改めてあれこれ考えて…といういつものサイクルに戻れてきたので、気持ち新たに書き出していきます。

待ちに待った6月。春のイベントを複数飛ばしてしまったあの悲しみがベースにもあったので、先月行けたイベントは全力で楽しみました。どのイベントもそれぞれすごく楽しくて、最高でした。そしてかわいい。推しくんがその場で話す言葉もリアクション、企画もイベントもすべて現地で生で見て聞いて会場全体で楽しむ時間ってなにものにも代えがたい。現地でしか体験できない時間はこれからもっと大切にしたいし、優先していきたい。そんな風に思う時間ばかりでした。

それとは別で湧き上がる愚痴。私はコロナ禍から今の推し活を始めたので、過去の空気を知らずにここまで来たのですが、5月からの声出し解禁に合わせて、これまでになかった会場の変化に困惑していました。マナーの悪さに腹を立てたり、単純に不快だと思って勝手に萎えたり。開演前までの我慢だ…と思っていたことも、開演されてもそれが継続するので、まじか…と席運を恨みだしたり。最終的には楽しいことと良かったことで上書きされるのでいいのですが。

このあたりをイベント終了後、ツイで愚痴ったり、誰かの意見を参考にしたり、反省したりする中で色々思い改めました。
強く思ったこととして、推してるのによくそんな行動できますね…と一方的に思うことが多かったのですが、私は同担拒否でリアコガチ恋であるために、楽しみを共有できないし、したくない。そして推しに対しての気持ちや考え方の境目がなくなっている。推しに恥じない状態でいたいと常に思っていますが、「そんな行動」と私が思っていることなんてマナーでもルールでもなんでもない、私の中にある基準なだけで私が許せないと思うだけのこと。誰がどんな推し方をしてたっていい。上下強弱とかではなく、あ、そういえば私はリアコだった…と思いなおすことで、自分とは違う価値観に対して割り切ることが出来ました。そういうひとたちはそういう楽しみ方なんだから、別に私に関係ない。むしろ自分と同じような人を見かけなかった分ましなのかも、とすら思えるようになりました。そもそも推し方・考え方が違う。ここに気づくまで結構時間がかかりましたが、たどり着いてみれば単純なことで、何かのきっかけでまた感情的になるかもしれないけど、ひとつ納得できたので良かったです。

もう一つは、コンテンツというか界隈的に若さや幼さを再認識しました。
楽しみ方に年齢制限はないので気にしないのですが、これは私がその適齢時に体験できなかった反動なのかもしれない、と感じました。グッズを買い集めたり、無我夢中で追いかけたり。その時はその時で、同じように夢中になっていたこともあったけれど。今の私の年齢からみれば、所謂イタイ状態ではあるとも感じます。それはそれで、私はこの生き方に対していろんなことを考えてみた結果今に至るので、後悔することはないのですが、ふと時々考える日もあります。それでも今体験している時間は、新鮮で刺激的であるし、どうしてこんなに推しくんが好きなんだろうと考えを深めてみると、リアコ感情の中にある、その恋している気持ちの中身にはやっぱり「見たことのない世界」への興味と関心と憧れが強くあります。
全く違う人生を生きてきた人、生きている人。自分には全くない発想や思考があるように見えて、一体どんなことを考えて、どんなふうに過ごしているんだろうと考える。どうやったら推しくんと出会えるんだろうと、ばからしい転生妄想をしているうちに、だんだん真面目に考えていったら、いつもと同じではあるけどここにたどり着きました。生まれたときから性別も環境も全然異なっていて、似ている部分が全くない他人。だからこそ自分が体験できない全く知らない世界に見える。表舞台に立って芸能活動をしているって、私の脳ではまったく理解が追い付きません。

そういう刺激的な見え方もあれば、今まで気づきもしなかった視点に気づいたりもする。自分の人生と全く重ならないからこそ、こんな風に知る事の喜びがあるのかもしれない。後は純粋に推しくんがめちゃくちゃかっこよくてかわいいので思う存分眼福している。そんなときもあります。もうそれだけで普段の生活にある嫌なことも、現場でぐちぐちしている自分の嫌な心も、品のない人間に対しての怒りも、すべて吹き飛ばしていく。そんな今日も推しくんが大好きです。

こういう風に考はするものの、いざ現場で目の当たりにすればすぐ感情的になったりして、永遠のテーマかもしれないけれど情緒は安定しません。現場でのもやもやする気持ちや、誰かの会話が聞こえないように必死でイヤホンを押し込むこの状態にここまで思わなくても…とも思うけれど、リアコガチ恋同担拒否って基本がこんなものなのかもとも思うし、もう少し長くこの感情と長く付き合って、経験が増えればまた受け止め方も変わってくるのかもしれない。ただマナーの悪さだけはどっちにしても不快なのでこれからも腹は立てていくけれど。年齢的に騒ぎたいだけのひともいれば、シンプルに失礼なひともいて、ひとりひとり注意するわけでもないし、騒ぎ立てるほどのことではなく、自分が異常に過敏なだけで、とにかく我慢するかその時の運次第にもなるかもしれない。後は慣れてくれば対処方法も見つけられるかもしれない。それとは別に私が注意されてないだけで、誰かの不快になっている可能性も否めない…と考えは尽きない。

こうして色々思うことも多くあるけど、先月は思う存分楽しめたので幸せでした。後は決まっているものがまだ少ないので頑張りたいのと、そのためにもっともっと働いて稼ぎたい。冬の楽しみに向けて今一生懸命頑張っているので、成果につながりますように。推しごととお仕事と私生活と、いいバランスが取っていけるように夏を乗り切ります。

ここまで読んでいただきありがとうございました。