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物書き志望、小説家のエッセイに震える

 トートバッグの中で下敷きが折れ曲がってしまった。すごく悲しい。高校生の時、下手したら中学生の時から使ってきたプラスチックの下敷き。本屋の文房具コーナーや、イオンにありそうな子供向けのスヌーピー柄、買い換えないとダメかな。新しいデザイン選ぶのめんどくさいな…適当に選ぶと後で使うのが嫌になっちゃうから、集中しないといけない。
 大人向けの粋な下敷きありませんか?ちょっと調べてみようかな。


 貫井徳郎の『愚行録』を読みながら、相変わらず図書館で借りたエッセイ『洋食屋から歩いて5分』を読んでいる。このエッセイ…村上春樹並みにロマンチックで描写が濃いから、一気に読める代物ではない。
 著者の片岡義男は作家さんだ、作家さんのエッセイはとても物書き心をくすぐる。夢に見ながらも、本当に物書きとして生きている人がいるのか?と信じられない気持ちもあるなか、作家さんの生活が垣間見れるエッセイというのは安心と活力をくれるのだ。

 日常の枠のなかで、その日常からほんのちょっとした非日常へと意識を移すにあたって、一杯のコーヒーは効果を発揮している、と考えていいのだろう。では僕は、なぜ非日常に向けて、意識が解放されなくてはいけないのか。
 小説を書くからだろう、という答えはすぐに出てくる。
片岡義男『洋食屋から歩いて5分』の「一杯だけのコーヒーから」より


 そうなんだ、小説を書くということは、非日常を思うことなんだ。確かにそうだ、その通りだ。と、痛く感動した。構成や正しい文章の書き方、技術に気を取られていたが、結局読む人に伝わればいいのであって。意識するのは非日常を思うこと。そして、物語る。

 片岡義男さんにとって、非日常を思うスイッチは一杯のコーヒーだそうだ。私の場合はなんだろう?似ているが、好きなマグカップにカフェラテを作って飲むことかもしれない。もしくは、ぼうっと窓の外を眺めて目を細めること。一度ぼうっとしないと、非日常は書けない。

 昨日外出を諦めたおかげで、今日は無事外にいる。おしゃれカフェで頼んだチョコラテがなんか…シナモン香る謎のチョコレートドリンクでつらい。ベージュの服の胸元にこぼしちゃったし…。まあいい、どこかでお昼を食べて高円寺に行こう。


 ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。🧸

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