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ドク母とわたしの日常② 【心理的・身体的虐待のおはなし】

ある日、いつものように勉強をして、怒られて泣いていた時、母が急に優しい声で「むーちゃん。もう、勉強したくない?」と言った。


そういう聞き方は、それまでにされたことがなくて、私は勉強をやめるチャンスだ!!!と思った。暗闇の中で光が差した感覚だった。もうこんな辛い思い、毎日しなくてもいいんだ。お母さんに怒られなくていいんだ。
そして、それまでの人生で一番と言っていいほどの勇気を出して、
「… 勉強、、やめたいです。」
と言った。
母は驚いていた。「…そっか……」


やった。私、言えた。これでもうお母さんに怒られない。お母さんはきっともうあんな怖い顔を私に向けない。何だかお腹の底の気持ち悪さも、少し楽になった気がする。
私はなんとも言えない解放感みたいなものを感じて、少しワクワクしていた。
これからはお母さんと毎日笑って過ごせる。


そのあと、2人とも何をするでもなく、しばらくぼーっとしていた。外から生ぬるい風が入ってきて、垂れ流しているテレビから「いよいよやろう♪イチブンノイチ」という楽しげなCMソングが流れた。

その少し後、静かに母が言った。

「むーちゃん。やっぱり、勉強やろう。」


崖から崩れ落ちたような気持ちになった。
だめなんだ。勉強、やめちゃだめなんだ。
私が決められることじゃなかったんだ。


「さぁ、さっきのところ、もう一回教えてあげるから、やろう。」

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嘔吐癖は治らないままだった。
2,3年生にもなると、何とか頑張ってご飯を口に突っ込んで、その後こっそりトイレで吐くのが日課になっていた。


家での勉強は、学校よりもずっと進んでいる内容をやっていた。だから、小学校ではそんなに勉強が苦手ではなかった。


学校でテストがあると大体100点で、そうじゃない時は怒られた。100点とって当たり前、99点以下なんてもってのほか。
そして99点以下のテストも、あの時のパンと同じように、隠した。


この頃から、母は怒ると決まって言う台詞があった。
「疫病神の恩知らず」「橋から飛び降りて死ね」「施設にぶち込まれたいか」「私の人生の加害者、責任取れ」「体売ってこい、金(養育費)返せ」 「きちがい」「お前みたいなのが一番嫌いなんだ」
私の心を壊すには十分だった。


施設に関しては、何度も電話をかけるふりをされた。今だから、母の外面のいい性格上、あれは本当に電話をかけていたのではないなと分かるけれど、その時の私は、お母さんにもう会えなくなる!と思って、必死に「見放さないで下さい。ごめんなさい、ごめんなさい」と号泣して、母の足にしがみついた。

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