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ドク母とわたしの日常① 【心理的・身体的虐待のおはなし】

それが虐待だと知ったのは、大人になってからだった。


小学生
1年生。勉強するときは、私の隣に30cm定規を持った母が座っていた。
勉強は嫌いじゃなかった。知らないことを知るのは楽しいし、できたら嬉しかったから。


答えを間違えると母が解説をしてくれるけれど、それでも分からない事が多かった。その度に怒鳴られて、定規で叩かれて、泣いた。泣くとさらに「そんなに勉強が嫌なら、やめてしまえ!」と怒鳴られた。


母はよく、怒っていない時に「勉強は一回やらなくなったらもう終わりだから、むーちゃんのためにやってることだからね」「勉強をしないなら、一切遊ぶ権利なんてないからね」と言っていた。


母に怒鳴られるのは怖かったし、悲しかったから、正直こんな思いをするなら勉強なんてしたくなかった。
だけど、終わるって何だかとても怖いし、遊べないのは嫌だなと思って、いつも泣きながら「もう泣きません。勉強をやらせて下さい。教えてください。お願いします。」と懇願した。


そんな日々が続いて、気がついたら、毎日嘔吐していた。
食べ物の匂いがするだけでも気持ちが悪くなって、ごはんの時間が憂鬱で仕方なかった。
吐き気を抑えながらなので、食べるのもすごく遅い。そうすると、母親がぼーっとしないで早く食べなさいと言う。怒られる、怒られる、どうしよう早く食べないと。何とか口に入れるけれど、えずいてしまって余計に食べられない。そのうちに、「早く食え!!!!食うのが遅いやつは、何をやってもダメなやつだ。そんなに食うのが嫌なら、勉強もなにもかも、やめてしまえ!!」と怒鳴られて、堪えきれず嘔吐する。朝ご飯も夜ご飯も、毎日これの繰り返しだった。


食べることなんて大嫌い。何とかして、怒られないようにしないと。ある日思いついた。ご飯を隠しちゃえばいいんだ。そう思って、母が私から目を離した隙に、急いで朝ご飯のパンを棚の後ろに隠した。バレなかった。
ホッとして学校に行って、帰宅すると、隠したはずのパンを持った母が、これはどういうこと?と聞いてきた。
恐ろしい形相の母をまっすぐ見ることも出来ず、分からない、と答えた。その瞬間、バチン!と頬を叩かれた。
じゃあどうすればよかったのかな。がんばってもたべられない、でもたべないとおこられる。ほっぺたもいたい。それに、たべないとべんきょうもしちゃいけない、べんきょうしないと人生がおわる。
6歳の頭では分からなくて悲しかった。大好きなお母さんがすごい目つきで私を睨んでいるのが悲しかった。どうしようもない気持ちになって泣いた。


そうしてまた叩かれた。
母は、私が泣くのが大嫌いだった。

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