ポルカドットスティングレイ/ラブコール

今回は僕が2022年(AppleMusicの統計によると)1番聴いたバンド、ポルカドットスティングレイの曲を紹介する。この曲の魅力はなんと言っても"バンドが初めてファンのことを描いた曲である"という点であろう。これまでファンの意見を投票などで聞き取って曲に反映させる、といった独特なスタイルをとってきたポルカにおいてこの曲はとても珍しく、そして真っ直ぐな曲である。そんな珍しい曲は、いまではアンコールなどで演奏されるような大切な曲になった。

この曲ではまず一言目から「私のことを書こうと思うので 言いたいことって何か考える」とこれまでファンの声を骨子にすることが多かったポルカが「私のこと」を書くと宣言するところから始まる。いつかのインタビューで自分の思いやメッセージなどどうでもいいと語っていたことを知っているファンからすれば、この時点で胸熱の展開なのである。そこから、「空っぽなだけの私だけれど あなたとの話をしましょう」と続く。ポルカやこの曲のコンセプトを全く知らない人からしたら、タイトルやこのフレーズで単なるラブソングだと思うだろう。しかし、この後「近くて遠いあなたたちを まとめて幸せにしたい」と来る。あなたたちである。もう一度言う。あなたたちである。全く知らない人はなぜ複数形なのか?と思うであろう。しかしファンは別である。俺たちはあなたがたの音楽を聴くことで幸せなんだよと思うわけである(この気持ちはファンすぎるか?)
続いてサビ、「愛するあなたが欲しくないのなら ギターなんて弾かなくていい ただこの愛を気に入ってくれるなら 生まれ変わってもここに来る だけなんだよ」である。なんてことだ。もうすでに気に入っている。生まれ変わってもここ(ステージ上)に来てくれ。ここまででわかるだろうが、この曲はポルカの真っ直ぐなファンへの愛がひしひしと感じられる曲だ。
2番には「ギリギリで生きる働く私は 大切なものを見つけてしまった」と来る。働く私というのはプロモーションやマーケティングまで全てこなすポルカは言わばビジネスなのである。前述したが、雫は昔自分の思いやメッセージなどどうでもいいと語っていた。音楽はビジネスであったわけだ。働く私である。大切なもの、というのをこの曲のコンセプトに当てはめてファンのことであると考えると、音楽活動をビジネスとしてやってきた(仕事と割り切っていた)雫はポルカを愛してくれるファンを大切なものと気づいたのだと言っているのであろうか。執筆しながら泣きそうである。以前、ポルカはロックバンドではないと友人に言われたことがある。なんだあのやり方はと。そんな彼に「どうでもいい言葉に縛られたくない 型にはまってそれっぽいことを叫ぶ そんなことを単にロックというならば 聞けよ 私は ロックじゃなくていい」という歌詞を見せてやりたいと思う。ポルカはロックではないかもしれない。が、しかし音楽や歌詞は本物であり、そこには熱意と愛があることを(愛が芽生えたということを)教えてやりたい。
ラスサビでは「私なんかの気持ちを書いてみて わかってくれとは言わないが それでも少しは知ってほしい あなたのために生まれてきた だけってことを」と締めくくる。私なんかという謙遜や、わかってくれとは言わないあたりが大変ポルカらしい。それでも少しは知っていてほしいのである。(この曲のコンセプト通り考えると)ファンのために生まれてきたとまで言ってくれている。音楽は仕事であると割り切っていたのにこうまで言ってくれるのである。こんなにも真っ直ぐな気持ちはもちろんファンに届き、前述した通りアンコールにも歌われるような名曲となった。

大変長くなってしまった。大好きな曲なので許してほしい。ポルカを全く知らない人にとってもこの曲は(上述したような諸所??となる部分はあるかもしれないが)爽やかなラブソングである。逆にファンではない気持ちで聞いた後、ファンになって改めて聞くとその聞こえ方の違いに大きな差が生まれるのかもしれない。

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