見出し画像

“何を”言ったかではなく“誰が”言ったかである

大前提として別に世直ししようと思って音楽をやってるわけじゃないから。でも俺は人を撃つ人間は、自分も撃たれる覚悟だけはしておいた方がいいと思う。

「『自分も撃たれる覚悟だけはしておいた方がいい』MOROHA・アフロが語った、芸能ゴシップに感じる“矛盾”」『文春オンライン』(2024年6月13日閲覧,https://bunshun.jp/articles/-/66827?page=3

 記事冒頭にいきなり格言のように持ってきたこの言葉、鋭利ですよね。どうも、小池です。今回は、何を言ったかではなく誰が言ったかが重要である、という話をします。

 はじめに、先に引用した言葉について触れます。とある芸能ゴシップが世間を騒がす最中、ミュージシャンであるMOROHA・アフロは「自分も撃たれる覚悟」を週刊誌の記者に、ひいては世の中に問います。みなさんは自分も撃たれる覚悟を持ってツイート(ポスト)してますか?

 いや「今日はカレー作って食べた。美味しかった」と呟いただけで撃たれたらたまったもんじゃありません。そういう話ではなく、人を撃つ人間は「自分も撃たれる覚悟」を持った方がいいんじゃないの?ということです。誰それが不倫をした時の「最低だ!」と糾弾するおのれの器の話ですね。

 そこで、「何を言ったか」vs. 「誰が言ったか」のバトルが始まります。
 
  先攻は「何を言ったか」チーム、「じゃあ総理大臣が『浮気万歳!不倫万歳!』と言ったら従うのかお前らは」と。後攻の「誰が言ったか」チーム、「誰が言ったかを重視するからこそ総理大臣の言うことは従うに値しない。なぜなら総理大臣は大した人間ではないから」と。

先攻:「じゃあお前の好きな人間が『浮気万歳!不倫万歳!』と言ったらそれに従うのか」
後攻:「従うかどうかは別として、その場合は一考に値する」
後攻:「私たちからも質問だ。60年間他の人に見向きもせず寄り添い続けた夫婦が『浮気はけしからん』と言う場合と、付き合い始めて2日目に浮気をした男性が『浮気はけしからん』と言う場合は、両者は同じことを言っていると言えるか」
先攻:「両者ともに同じかつ大事なことを言っている」
後攻:「それではもう1つ質問。その浮気をした男性は嘘をついているということでよいか」
先攻:「その通りである」

 いかがでしたでしょうか。何となくわかりますでしょうか。後攻先攻への質問と応答において、浮気をした男性が嘘をついていることが双方の認めるところになりました。改めて説明するまでもなく、浮気を既にしているのに「浮気はけしからん」と言っているからです。”嘘”という表現が適切でなければ、”背信行為”と言い換えてもよいでしょう。ずいぶんと遠回りをしましたが、つまり「何を言ったか」を重視することで覚悟および責任が欠落するのです!

 また、「誰それが言った”から”重要だと考えるのは権威主義だ!」という「誰が言ったか」チームへの批判はありうるでしょう。たしかに一種の権威主義です。しかし、それはただ良い権威主義と悪い権威主義があるだけではないでしょうか。対象の権威が信用できるのならばその権威主義はアリだと私は考えます。目も当てられないような”オリジナル”の考えを開陳する匿名者の言うことよりも、経験・実績を兼ね備えた実名者の言葉の方が信用に値するのは当然ではないでしょうか。

  しかしあくまで上の考察は、人を撃つ人間には「自分も打たれる覚悟」が必要なんじゃないの?という文脈での話です。それと、経験や実績がなくとも信用に値する人間はいます。つまりは「こいつが言うのなら、信じてみよう」と思わせる人間の言葉が大事であると私は考えます。

 というわけで、みなさんもぜひ撃たれる覚悟を持ってみてください!僕も

(小池)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?