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裏切りに動じない薄情

薄情という言葉が一番自分にマッチしているように思え、薄情という言葉の意味を非人なことと理解しながらも、私は薄情で一生をやり過ごすに違いない。
その罰の苦しさに耐えられるのか、不安があるにせよ、仕方がないと諦めている。
自己中心性、約束を守らない、保身のための嘘を吐き、他言無用の秘密を誰かれ構わずに、口を割る。
イキがってるだけに思われるかもしれない。

一方で、唯一といっていい長所、それは自己肯定感がずば抜けて高いこと。
勘が鋭くある人は分かると思うが、自己肯定感と情の薄さは一体としてある。
自己肯定感という自分を騙し騙し生き続けると、歩いたその背後には、裏切られ、背を向けて去っていった多くの他人がいる。
悲しさはある。後悔の念もある。
記憶を思い返せば涙が出る。
その感情は思い返す何らかの、反省の機会に出くわせば、だ。
忘れる。私はすぐに忘れる。
残念な結末をどれぐらい経験したろうか。
その記憶は、後悔の感情とともに忘れた。

もう一つ打ち明けると、裏切られたらー他人からの裏切りは私の気のせいかもしれない。相手は裏切ってなどなくて、私が薄情で勝手に離別してきただけなのかもしれないーそのショックは酷く重たく、忘れることが上手くできないで、長い時間を苦しむ。
そこにある相手の顔の表情は明るい。
悪意などは僅かにもみつけることができない。
相手には裏切りの自覚などない。
私が人を裏切る時がそうなのだから。
誰かの言動は誰かを無自覚に傷つけている。
だから私は薄情でいようとする。
不義理であれ、人が悲しもうとも、誰にも私の胸の内を知りはしないし、私は他者を知ることはない。
信じることをすれば、信じ続けようとすればするほどに、その信じるという言葉は使わない。信じるという意識すらしないでいい家族というもの。

家族の死と、毎月のお給料を貰うための狭間にあって、無能な私は、私だけにしかわからない感情で生きてきた。時々自ら死ぬ人が目の前に現れる。その、誰にもわからない感情にある人が愛おしくなる。薄情だけに、誰にもわからない感情を抱えている人に私は会いたくなる。あなたもなのかと嬉しい気持ちになって私は再び薄情のままに生きることにする。それからまた、友という存在を失くし続け、それでよしとするだろう。

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