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中田満帆さんの新刊本を読む前後に考えたこと


まだ観ていないけれど「宮本から君へ」が映画化されたようだ。新井英樹さんのこの漫画が連載されていた二十代の頃に毎週楽しみに読んでいた。主人公の宮本について最初は不快なだけだった。何かというと、表層的な善意を持ち出しているだけのようにしかみえず、恋愛についてもそうだ。ふられた宮本はヤケになって海に突っ込む。アオイやつだ。言い方を代えれば純粋・ピュアというやつ。屈折率の高い私にはあざといやつとしか映らない。自己嫌悪をそのまんま晒す奴なんて甘えなんだよって心の底で宮本を罵倒していた。それに共感する読者男子という構図が大嫌いだった。二十代前半までの私は僅かにでも親の助けをもらって生きている同年代の人間に殺意を抱いていた。本気で殺してやりたい奴がたくさんいた。その殺してやりたい代表が宮本だった。この連載初期の時点で宮本は何もわかっちゃいない。本当になにもかもわかっていない。

その何もわかっていない宮本を罵倒して詰る新しく出来た歳上の彼女がほんとうに心地よかった。結末は歳上のその彼女を犯した大学ラグビーの巨漢選手に復讐を果たして終わる。復讐は成就せずにそのまんま惨めに宮本は死ねばいいと、ずっと私は思っていたし、今どきの優しくて善意を無自覚に口にする若者が挙ってこの映画に共感する様をみるにつけ殺意を持ってしまう。いや、言い過ぎだ。

他人に憎悪を持つような年代は最早過ぎた。今となってはどうでもいい。いろいろなことがどうでもよくなっている。大量に人が死のうが、動揺しない。日に日に地続き感があるニュースが減ってゆく。

ずいぶんとツィッターランドからも遠退いてしまった。悪意が垂れ流されるタイムラインが好ましかった。自覚ある悪意の方が好きだというだけのことだけれども。善意を無自覚に、、否、善意が当たり前だとばかりに足腰が弱っちぃ人々が一生懸命に善意の輪を作っている。不快ではあるけれども、どうでもいい。

独り善がりで卑屈になる人を「孤立であって真の孤独ではない」などという頭の良さそうな人気者のツイートに殺意をもった。足腰が弱っちぃ幸せ者達が云うセリフ。こんな奴にわかるわけがない。わかるわけがないんだ。いや、俺だってわかってはいないよ。俺の涙の理由をきみもわからないから。

寺山修司へ捧ぐ

中田満帆さんの星蝕詠嘆集を読んだこと。それから最近考えていたこと。

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