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大瀬:先日オーストラリアからご帰国された翌日にも関わらず、AAEEの学生勉強会にご参加いただきありがとうございました。相変わらずお忙しい日々ですね。

関:体力的には消耗したけど、オーストラリアの南部(アデレード)には初めて訪れたので学ぶことも多かったね。シドニーやゴールドコーストなどは雰囲気も人々の働き方も全然違う。同じ国なのにね。

大瀬:そうなのですか。具体的にはどのように違うのですか。

関:一言で表せば、のんびりした環境でのんびり生きている。のんびり生きていける。シドニーのようにシャキッとした感じじゃない。これ以上話すと本題から外れる(笑)。

大瀬:なるほど。同じ国の中でも多様な文化があるということですね。また後ほど詳しく教えてください。

大瀬:話題を先日の勉強会に戻しましょう。優秀な大学生や高校生と一緒に議論できてとても充実していたのですが、一つ気になったことがあります。彼らは「文化」についてどれくらい立ち止まって考えたことがあるのでしょうか。多文化共生をテーマとした勉強会ですから当然「文化」に関わる話題が多くなるわけですが、彼らの中で文化の定義が曖昧なのではないかと思ったのです。

関:よく気が付いたね、その通りなんだ。参加してくれたみんなはとても熱心に勉強に取り組んでいて議論にも長けている人たちだ。そんな彼らでも「文化」とは何かを問われたら言い淀んでしまう。これが日本の学生たちの現実だ。

大瀬:先生がご担当されている「異文化コミュニケーション」の授業でもそうなのですか。

関:そう。文化とは何か、コミュニケーションとは何か、ということを一から教えるようにしている。ちなみに、大瀬さんは中高時代に「文化とは」というテーマで先生から習ったことはある?

大瀬:そう言われてみると学んだ記憶はないですね。しかし、文化の違いを強く意識した最初のきっかけは覚えています。私は小学6年生の時に学校の国際交流活動の一環でオーストラリアに行ったんです。先生が先日出張で行かれていたアデレードと、シドニーに行きました。初海外だったこともあり、それまでテレビや図鑑で見てた世界とは比べ物にならないほど、オーストラリアで滞在した地域の人々の暮らしや学校の様子などが、私の暮らす場所のそれとは違い過ぎて圧倒されました。

関:なるほど。「文化とは何か」学校で学ぶことはなくても、体験的に「文化」に触れてきた人は多いと思うんだ。僕も高校一年生の時にインドネシアで都会のイスラム教徒のご家庭でホームスティする機会に恵まれて。宗教、食習慣、気候、何から何まで新潟の小さな田舎町とは異なっていて、明確な「文化の違い」を体験した。では、「文化」とは何か。文化とは、「ある集団や社会の人々が共有する生き方や考え方、法律、慣習、技術などの集合体」だと考えるといい。まず、抑えるべきは文化というのは自分一人で作り上げることはできず、集団の中で長い時間をかけて形成されていくものであるということだ。

大瀬:「暗黙の共通認識」のような感じでしょうか。言葉にしなくてもそこで生活している人たちにとっては当たり前みたいな。

関:そうだね。さらに、文化はその土地の気候や風土、その集団の周辺にある別の集団との関係性にも影響を受けながら育っていく。そして、世代から世代へと継承されていく中で次第にその集団独特の価値観や思想・信条などが形成されて、人々の心の中に深く根付いていくんだ。

大瀬:こうして、「暗黙の共通認識」のようなものが出来上がっていく感じですね。

関:文化は遺伝的に身につくものではないというのもポイントだ。生まれた後に置かれた環境によって身につく。

大瀬:文化は遺伝的に身についていないからこそ、赤ちゃんも言語を含めた様々な文化を生まれた環境の中で獲得していきますもんね。けれども、人の記憶は胎生期から起こっているとも言われていますよね。胎内で受け取ったお母さんや身近な家族からの情報が脳の深層部分の記憶に関わっていて、価値観の形成が始まっているということを聞いたことがあります。
文化と価値観の違いはどのように考えたら良いのでしょうか。

関:前回の対談で、様々な文化軸があることに触れたけど、これらの文化軸は、国や食、宗教などのように、意識して目に見えるものばかりではないんだ。

大瀬:よく氷山に喩えて表現される話ですね。

石井敏・久米昭元・長谷川典子・桜木俊行・石黒武人『はじめて学ぶ異文化コミュニケー ション 多文化共生と平和構築に向けて』有斐閣選書、2003 年

文化の「氷山モデル」
▶︎表層文化:外部の観察者が容易に観察できるもの(意識的・目に見える)
▶︎深層文化:外部の観察者が、相手の文化に入ってもすぐには見ることができず、その文化の中に長い間滞在したり、現地の言葉を習得した段階で、洞察力があれば理解できるかもしれない精神的、心理的、倫理的、道徳的な側面(無意識的・目に見えない)

関:目に見えるものが表層的な文化=氷山の見えている一角だとしたら、各個人には見えるもの以上に多くの、無意識なものを含めて目に見えない深層文化が存在している。これらの他者の精神的、心理的文化を理解するためには、相応の洞察力や知識・経験が必要になる。

大瀬:無意識だからこそ、自分でさえも認識できていないような自分自身の価値観もありますよね。

関:そうなんだ。価値観について、よく学生と話していて物申したいことが一つあるんだけど、よく学生が新しい体験や学びがあった時に「価値観が変わった」って言うよね。だけど、価値観ってそんな簡単に変わるものじゃない。そもそも、「その価値観とは具体的にはなに?」と問いただしたくなってしまう。価値観というのは、文化の一番奥底、氷山で言えば海底にあるものなので、そう簡単に触れることができないし、形になっているかどうかもわからない漠然としたものなんだ。

大瀬:この言葉に自分自身も思い当たる節がたくさんありますが・・・文化を考える上で、価値観とは何かをもっと考えていく必要がありそうですね。


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