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過去話1

「茶番」といえば底の見え透いたことだが、本来は文字通りお茶を用意する人を指す。江戸時代、楽屋の茶番が寸劇を演じ、洒落や嘘で楽しませたことから悪い意味が生じたらしい。

こちらもどうやら茶番めいてきた。「〇〇〇〇」のグループである。

「保護猫と自宅で飼っている猫は別だ」と言い放った代表A。グループ内の投稿記事の動きが殆ど無く、自らコメントしていき片っ端から記事を上げ始めた。関わりを持つ集団は、自分達に不利と見たのか、サブアカウントを作り、あちこちで発言を連発している。

さきの言葉の意図は、猫を区別しているということになる。屋内にいる猫も、外にいる猫も、活動している人や元来の猫好き達にとっては同じであるはずではなかろうか。

区別=猫に優劣を付けている…これが活動グループと銘打った代表の発言であり、真意である。自らの処方薬(精神科らしい)を並べ上げ、さも苦しかったですと胸を張っているが、「茶番」となったODらしき事件現場には我が子もいたという。結果的には心配のコメントを寄せた人々をも騙していた。

Aの嘘はこれまでも行われ、繋がっている人物の中には明らかに収支報告から逃げているものも存在する。体が悪いからという言い訳は社会に出た大人がすることでは無い。この意見に対しても「末期がんで歩けなくなっても言い訳になるのか!」と食い付くサブアカ達が自然を見え隠れするが、拡大解釈や詭弁は議論破綻であり、話し合いなど出来はしない。そういった安易な姿勢はいずれ自己の崩壊を招く。墨を入れては自慢したり、他人の家に押し掛けて保護活動を妨害し潰している暇は無いはずだ。自ら発信している「活動」に真剣に取り組んでいれば。現実世界で仕事をきちんとこなし、社会人たるべき恥じない生活をしていれば、だ。

再三求められていたIさんの収支報告には、ETC払いやカード払い、ガソリン代は含まれていない。Aが立て替えたと発言し、4万円だったはずの金額が少額訴訟により跳ね上がった15万円という数字も勿論含まれてはいない。欲に目が眩み視点が変われば、それこそ金目当ての茶番に終わろう。

搬送ボランティアをしている友人がメールを寄せてくれている。猫たちが安心して過ごせるのなら、自分達は馬鹿にでも何にでもなれたよね、と。

保護活動を売名に使うか、依存症から抜け出し本気で猫たちと向き合うか。差はあまりに大きい。

(過去Fにて投稿)


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