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アフリカの救済と南こうせつの「ビートルズ」

■人、集うところにロックあり

ロック音楽の不思議なところ、大義名分あって人が大勢集うところに何故かロックがあることです。
1968年のウッド・ストックにはじまって、やはり人が大勢集まった時、盛り上がる最大公約数としての音楽はロックであることは、ロックが売れる音楽、普段よく耳にする音楽ではなくなった現代においても一定その役割を果たしているという事実は、もしかしたらウッド・ストックの幻想であったり、呪縛であったりするんじゃなかろうか?と思ったりします。決して否定的な意見ではありません。
ただ、普段ロックを聴かない若い方々がフジ・ロックには行くって感覚がどこから来るのかというのを僕なりに考えてみることがあったのです。
そして、1985年の7月にイギリスのウェンブリー・スタジアムとアメリカのJFKスタジアムをメイン会場に世界各国で開かれた20世紀最大のロック・イベントもその幻想や呪縛の一役を担っているのだと思います。
このロック・イベント今更どんなものかを僕が説明するまでもないと思うのですが、ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフとウルトラヴォックスのミッジ・ユーロが発起人となってはじまったエチオピアをはじめとしたアフリカの飢餓救済のチャリティー・プロジェクトのクライマックス的なものでした。

■ライブ・エイド日本での放送


日本でもTVで衛星生中継で放送され、日本からも矢沢永吉やオフコースなんかが一応、ライブ・エイドに参加しているということになっていたようです。
当時高校生の僕ももう楽しみにTVの前に座していたのですが、夜21時から翌日の昼までの放送だったと思います。海外のビッグ・ネームのライブが観られるということで、もうかなり気合いが入っていました。徹夜覚悟で途中休憩もできるように枕や布団も用意してたんです。ところがです、目当てのクィーンやデュラン・デュランはなかなか出てこなくて、司会の南こうせつやゲストの日本のミュージシャンのうすーいトークがつまらなく、何より南こうせつが何度も「ビートルズが再結成する」「ジョン・レノンの代わりは息子のジュリアン・レノンがつとめるということです」と何度も連発するのです。それは16歳の洋楽聴きはじめて二、三年のガキにだって「んな、ワケあるか!」と突っ込めるようなことでした。なので、もの凄く今日を削がれたというか、もう余計なことしなくていいから、ただただ中継を垂れ流してくれと祈るような思いでTV放送を観ていたのです。
結論、ご存知の通り、ビートルズが解散後、ポール、ジョージ、リンゴが、もちろんジョンの死後も含め、ビートルズという名前で何かしらの活動を行なった記録はありません。もちろん、ライブ・エイドでもです、
にもかかわらず、その南なにがしは「いよいよビートルズの登場です!」と宣ったのです。それもCMあけてまたトークそしてもう一回「さぁ、ビートルズの登場です!」と。それで出てきたのが、ポール・マッカートニー、ひとりという。
まぁ、ポールもビートルズのメンバーでしたから、ビートルズの登場という意味にビートルズに在籍したメンバーという広義の意味が含まれているとしたら、完全なる嘘とは言え無いのかもしれませんが、そうだとしても、全く白けた煽りです。
もう、南こうせつという人物が大っ嫌いになりましたね。
腐ってもミュージシャンなんでしょう、南こうせつ。
もう大人が本当に信じられなくなりました。
ミュージシャン、アーティストってしたり顔してるけど、そんなのすら信じられなくなったという酷い思い出です。
日本の放送の中でもエチオピア、アフリカの飢餓救済への募金を募っていたと思いますが、全くその気すら失せるような、
ボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロの崇高な思いと行動にはその時も今も敬意の念に代わりはありません。本当にロックには世界を変える力があるかもしれないと思いたかったのですが、なんとなくそれは夢のような話なのだと、そう確信したような出来事でした。大袈裟な言い方かもしれませんが、ライブ・エイド自体が本当に大きな大きなロック史上最大のイベントであったと思うので、その揺り返しなのかもしれません。

■ただでは終わらない


そんなこともあってライブ・エイドのクイーン、伝説のライブと呼ばれたパフォーマンスは全く覚えてないんです。日本で放映あったのでしょうか?
あと、もうひと組のお目当て、アメリカ側のステージでは一番の声援であったと言われるデュラン・デュランも睡魔に負けて寝てしまっていたようで、これまた全く記憶にないという、残念この上ない観覧に終わったのでした。
ただ、観ていた中で印象に残っていたのは、ダイアー・ストレイツとスティングの共演でした。ダイアー・ストレイツの"Money For Nothing"は当時ポリゴングラフィックが斬新だったミュージックビデオも話題になりMTVヨーロッパ放送開始時に最初に流れた曲だということなのですが、大ヒットした曲なので高校生の僕も良く耳にしていた曲だったんです。そこに大好きだったポリスのスティングがコーラスで参加するという豪華な演出だと思って観ていたんですが、スティングはもちろん、ギターを弾きながら歌うマーク・ノップラーがかっこよくて、ピックを持たずに指でテレキャスターをかき鳴らすのがカッコよくて、ライブ・エイド観た後に好きになってレコードを買ったんです。そしたら、この"Money For Nothing"スティングも参加していて、レコードのコーラスもスティングだったということを知って、何だかとても得した気分になった憶えがあります。
スティングがこのライブ・エイドでしていた時計がカシオのG -ShockでDW-5200Cという当時のG -Shockとしては珍しい丸い形をしたモデルでした。
僕はキャプテンアメリカに憧れていたのでずっと時計を持っていなかったのですが、さすがにそいうわけにもいかなくなって、当時は携帯とかなかったので、最初に買った時計がG-ShockのDW-5200Cでした。ずっと持っていたのですがベルトが加水分解を起こしてボロボロになってしまいベルトを交換しようと思ったのですが、製造中止になっていて残念な思いをした経験がありました。
今でも同じ形でライトがELライトになってアップデートされたモデルがあって、今はそれを着けています。俗にG-Shockのスティング・モデルと呼ばれているものです。 
ライブ・エイドの良かった思い出はダイアー・ストレイツとスティングでした。

■ライブ・エイドTシャツ


Tシャツは最後になってしまいましたが、当時大量に作られたものです。
バックにはスポンサー名がプリントされています。
90年代になってからテレビのドラマで某人気アイドル俳優が着用していたことで、古着ショップ界隈でもかなり話題になり流通したものです。
かく言う私もその頃にライブ・エイドのことを思い出して懐かしく購入したのですが、購入した時はライブ・エイドから10年そこそこしか経ってなかったんですね。
今やもう37年も昔の話だと思うと人の恨みや負の感情というのは根深いものだなぁと思います。
いまだにチャリティーイベントにはどこか賛同できない気持ちがあり、相変わらず南こうせつは嫌いです。もうちょっと大人になるべきなのかもしれませんが…

■おまけ

先日、この動画を確認してくれたスペシャル・メンバーLe Rayon Vert の川口くんが「あの時の南こうせつの司会は酷かった」と話し始めました。
彼とは高校からの付き合いなので、彼もリアルタイム17歳の同じ時に同じライブ・エイドの中継放送を観ており、全く同じ感想を持っていたことがわかりました。40年近い付き合いの中で、このライブ・エイドの南こうせつの話をしたのは初めてでした。
まさかかんなに近くに同じ思いを持った人がいたなんて驚きではありましたが、裏を返せば、"いかに同じ思いを持った人が多いか"ということでもあると思った次第です。
南こうせつにもあの時の言い分はあるのかもしれませんし、南こうせつにも大勢のファンがいて、その中にはビートルズのことも好きな人もいるでしょうから、あれは一体何だったのか、本人の口から聴いてみたいものです。

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