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雨と汗と化粧の匂いとデュラン・デュラン

ヒロセ・ハジメ

■デュラン・デュランのコンサートへ


1986年の秋、当時高校3年生だった僕は受験を間近に控えた身でありながら、早朝始発の電車に乗り、自宅から2時間かけて名古屋まで出て、さらに何時間も行列並ぶ日曜日の朝を過ごしていました。
名古屋のチケットセンターでデュラン・デュランの来日公演のチケットを購入するためです。そして手に入れたチケットは決して良い席ではなかったんですけれども、それでもとても嬉しかったものです。
「3月にこのコンサートに行く時は、大学も受かっていて、良い気分で行けるといいなぁ」とそんなことを父親に話したことをよく憶えています。
そして3月19日のコンサートの当日を迎えるのですが、行きたかった大学には落ち、とりあえずの進路は決めたものの、とても複雑な心境でした。コンサートの当日はそんな気分を象徴するかのようにどんよりとした曇り。

当時の記憶になるので正確性にはかけるのかもしれませんが、
名古屋市国際展示場へのアクセスはとても不便でした。近くに地下鉄を含め鉄道の駅はなく、バスを利用しなければならなかったため、駅からはコンサート会場行きのシャトルバスが出ていたと思います。高校の卒業式前だったのですが、学校は自主休校。昼間から名古屋まで出て街をぶらぶらし、頃合いを見て名古屋市国際展示場へ向かうバスに乗ったと思います。国際展示場に着いた頃にはポツポツと雨粒が落ちていました。
それでも、いよいよ体験できるデュラン・デュランのライブに気分は徐々に高まっていました。
ツアーのパンフレットは絶対欲しかったので買いました。このときのツアーパンフレットは大切に取ってあるはずなのですが、ちょっと探したところすぐには見当たらないので、ちゃんと見つかるか今でも不安でドキドキしています。

■デュラン・デュランのツアーTシャツ


そして、ツアーTシャツになるのですが、残念ながらこれはこの時買ったものでは。田舎から名古屋までの往復の電車賃、パンフ代で結構な額の出費になってしまい、チケット代は何ヶ月も前に払っているものの、卒業前の高校生の小遣いはほとんど底をついていたのです。
なので、これは後になって、多分Tシャツを集めるようになってから、アパレル関連つながりで、知人から譲ってもらったものだったと思います。

MTVでのビジュアル、サードアルバム"Seven & The Ragged Tiger"の発売、第二次ブリティッシュ・インベージョンの波に乗って、イギリスから北米、世界にまで人気が渡ったデュラン・デュランでしたが、成功したミュージシャンの常套とも言える、ドラッグの問題やメンバー間のエゴのぶつかり合いはストレスとして膨れ上がっていたようで、それはバンドから2つの音楽プロジェクトが派生したことでも垣間見ることができます。
デュラン・デュランを知るファンなら周知のことと思います。
時の勢いもあってか、その2つのプロジェクト、パワーステーションとアーケーディアも成功。特に音楽面において、メンバーの個性が明確になるのと、さらに一段グレードが上がった音が作られていた事は、アーティストとしての地力がこの時期に養われていることを顕著にしたと思います。
ただ、それに伴って、ギターのアンディー・テイラーとドラムのロジャー・テイラーがバンドを去ると言うことにも繋がってしまいました。
サード・アルバム発売から、わずか3年間の間に起きた変化の中で発売されたアルバム"Notorius"は本格的にナイル・ロジャースと組んで制作された音楽的にもビジュアル的にもグレードアップしたものでした。ファンと共に大人になったデュラン・デュランだったわけです。
その当時は、ボーカル、ベース、キーボードと言う3人編成と言うバンドはもうロック・バンドのフォーマットとしてピンとこなかったというか、バンドとしての例がなかったので、ちょっと物足りない感じがしました。
しかしながら、フロントマンのサイモン・ル・ボンは相変わらずデュラン・デュランが健在であることの象徴でしたし、そして、本文字通り音のベースとなっているジョン・テイラーのベースラインはバンドの新しい音を支えていました。もともとジョン・テイラーと言うベーシストのベースラインのセンスはイギリスの若いバンドの中では抜けている感じがしたんですけれど、どうしてもアイドル的な扱いから「本人が引いてないんじゃないか」的な見られ方も少なからずあったように記憶している所です。当時のインタビューにもありましたが、パワーステーションプロジェクトのプロデューサーであったシックのベーシスト、バーナード・エドワーズに、レコーディングの時、相当鍛えられたと言う事だったので、それが如実に現れたのはこの時期からでした。
何より、キーボードのニック・ローズがいれば、デュラン・デュランは存在するののだということ。実はキーボードの音で曲を埋めるパート的な位置ではなく、ターン・テーブルこそないもののマスター・オブ・セレモニー、MC的に曲や演奏全体をコントロールしているところが、ヒップ・ホップ的なアプローチとしての先見性があり、時代性を感じさせない音作りと独自性を生み出す核になっていたんだと、この頃に気づくことになったものです。

■雨と汗と化粧の匂いと赤い傘


こともあってか、その日のライブで印象に残っている曲は、パワーステーションの"Some Like It Hot"とアーケーディアの"Election Day"と二つの派生プロジェクトの曲でした。もちろん、その他の本家デュラン・デュランのヒット曲も大いに盛り上がって、でっかい名古屋国際展示場をソールドアウトにした10,000人をゆうに超える観客はを終始盛り上がっていて、大規模なコンサートとしては最高の盛り上がりだったと記憶しています。19時開演でコンサートが終わったのは21時前でした。何せ、国際展示場ソールドアウトの観客が一斉に出口に向かうそれだけで結構な時間がかかります。
都会の名古屋から「ド」が3つ位着くド田舎の家への単線路線の最終電車まで終演から2時間もありませんでした。
おまけに、会場の外に出ると大粒の雨。
春になったとは言え、3月の夜の雨はとても冷たかったのです。吐く息とコンサートで上気した湯気が大勢の人の身体から立ち昇るのが見えるようでした。
そして、デュラン・デュランのコンサートです。周りは若い女子、女子、女子、どこまでいっても女子。その中に申し訳なさそうに男子が現れると言う感じ。
本当にこういう時の男はとても申し訳なさそうで所在無いものだと思います。まぁそれは自分を含めとの事だったのですが…
その上気した女子女子女子から立ち上がる化粧と汗の混じった匂い。体も頭の中も何とも言えないグッタリとした感覚に包まれて、まるで悪いお酒を飲んだ時のような感覚でした。まぁその時まだお酒は飲んだことがなかったのでしたけれども、そんな感覚に襲われて僕の頭がズキズキと嫌な痛みに襲われ始めていました。
シャトルバスは何十台と出発していくのに、列は一向に進まず、後からぐいぐいと圧力ばかりがかかり、前の女子になるべく触れないように足を踏ん張るのが精一杯でした。何とか購入した大切なツアーパンフを上着のジャケットの内側にしまいこんで雨に打たれてバスを待つことになったワケなのです。
そうした時、ふと目の前が赤い影に包まれました。赤い小さな折り畳み傘が僕の頭ギリギリのところに当てられていたのです。
僕の左の肩口から上腕あたりに白くて小さな手がニョッと置かれていました。その手に折り畳み傘の金属の棒がしっかりと見られていたのです。
僕が左を向くと色白で、髪の色が茶色で、ノースリーブのコットン・ニットを着た背の低い女性がにこりと僕の顔を見上げていました。
僕は一瞬、何のことかわからず、変な間ができてしまったんですが、すぐにその彼女は僕が雨に濡れないように傘の中に入れてくれたのだということがわかりました。
「ありがとう」と言うのが精一杯でした。そうすると「うん、濡れちゃうね。入っていいよ」とその彼女。
(さて、どうしたものか?)小さな折り畳み傘なので、他に開いている傘を避けるように僕の方に傘を差し出されており、彼女の左肩はその横の人の傘から雨の滴がつたって濡れていました。
彼女の顔を見ると、色白の顔にはそれ以上は必要ないと言う位にファンデーションが塗られ唇も不自然な位きれいなピンクで、まつ毛にもしっかりとマスカラが乗っていました。けれどそのお化粧のどれもが彼女の汗と雨で当たり前のように崩れかけていました。きっと、しっかりとメイクして一人でDuran Duranのコンサートに来ていた彼女は僕よりずっと大人の女性だったに違いありません。そうでなければ一人で雨に打たれている所在無い男子を自分の傘の中に入れたいできないはずです。
その時の僕は、上気した女性の汗と化粧の匂いに酔った勢い、彼女の親切な行為に堂々と甘える決断を一瞬でしたわけです。
「ありがとう、でもそっちの方が濡れちゃうから、せめて傘を持たせて」
胸はドキドキ、頭がガンガンしながら折り畳み傘の金属の棒の彼女の握る手の上の部分を掴んでぐいっと左に傾けて彼女の肩が濡れないようにしました。
僕の右半身は再び雨に濡れることになったのですが、今更どうと言う事はありませんでした。悪酔いも悪くない感じになってきたのです。

■赤い傘の彼女


さて
、傘に入れてもらって、こちらがその傘を持っているわけなので、まぁ黙って立っているわけにもいかず、話しかけることになる訳ですが、幸いにも初対面でありながら共通の話題には事欠かなかったのです。時間を潰すには余りありました。
要は、サイモンとジョンとニックがかっこいいと言う話をすればよかったわけです。
彼女はまるで女友達に話すかのように、キラキラと「サイモン、カッコイイ、ジョン、カッコイイ、ニック、カッコイイ」を連発していました。
それは予め前提としてわかっていることだとは言え、一応男子の前でそんなに他の男をカッコイイと言わんでもよかろうと思ったくらいなのですが、意外にも彼女のファン歴は浅く、ファースト・アルバムのオリジナル盤やセカンド・アルバム"Rio"のツアーでアメリカ(場所を忘れた)でのライブのブートレグ盤を持っていると言う話をしたら「いいなぁ、聴きたいなぁ」と羨ましがられたものでした。現在なら、そこでLINEを交換して、「今度聴かせるよ」ということになるところですが、携帯電話が一般化する10年も前の世の中の話です。いよいよバスに乗れると言うところで、その彼女とは名前も連絡先も知らぬまま離れてしまうことになりました。
最後に家傘を渡して「本当にありがとう」と言うと「うん」と笑顔を返してくれたのが思い出されます。

すし詰め状態のバスに乗ると汗と化粧の匂いは100倍位に感じられる、もうコンサートの開始から3時間以上立ちっぱなしだったこともあり、一気に疲れが襲って来ました。ようやく辿り着いた最寄りの田舎駅、単線の終電の時間とっくに過ぎ、真っ暗な駅で父親に車で迎えに来てもらうため、さらに待つこと30分。家に着く頃には日付が変わる時間になっていました。部屋に入って、ベッドに倒れこむと着替えしたにもかかわらず、まだ汗と化粧の女子の臭い匂いが体にこびりついているようでした。決していい気分ではなかったのですけれど、赤い折り畳み傘の彼女のことを思ってそのまま死んだように眠りについたのです。

35年前の記憶。その後、すっかりそのことを忘れていたのですけれど、例えば某アイドル事務所関連のコンサートが横浜アリーナで開かれた時の帰りの電車に乗り合わせたりすると、あの時と同じ汗と化粧の女子の匂いがして、そのたびにフラッシュバック的に蘇るなんとも言えない感情があったりして、何の拍子だったか、このチャンネルのメンバーと動画の打ち合わせをしてる時にふと今回のデュラン・デュランのコンサートの思い出話になって、一回ちゃんと吐き出しておこうと思ったというわけです。
さっきも言いましたが、本当に今の時代なら連絡先の交換していて、恋に落ちないまでも普通にSNSで交流していたんでしょうね。
その代わり、こういった雨と汗と化粧の匂いを伴った甘ったるい記憶としては残っていないのかもしれません。

https://www.youtube.com/watch?v=y-OImJsSUSk

■おまけ
80年代、デュラン・デュランのメンバーは皆カッコよかっただけでなく、どことなく英国の貴公子といった雰囲気たたずまいもあり、Queen〜デビッド・ボウイ〜ジャパンといった流れを踏襲した(?)女の子も聴くロックだったわけです。
それにあやかろうとしたつもりはなかったのですが、ジョン、サイモン、ニックのヘアスタイルやファッションなどに憧れて、真似をしたりしたものです。
ここでお話しした1987年の”Notorious”の頃はメンバーもモノトーンでシックに決めたスタイルで、それまでのビジュアルイメージをガラリと変えて大人の雰囲気でしたがそれもまたカッコよかったのです。
黒いジャケットに白いシャツのスタイルは日本のデザイナーブランドであるYouji Yamamoto や comme des garcons が世界に発信したスタイルに近いものもあり、僕もセールの時は必死に服を買い漁ったものでした。
その辺りのお話をよく行くRock Barのマスターとともに語ったものがありますので、よかったら是非聴いてみてください。
コチラは音楽とともにお楽しみいただけるものになっています。
デュラン・デュランはまだまだ現役で活動を続けてくれていて、本当にファンでよかったと思うアーティストです。デュラン・デュランについてはまだお話ししたいエピソードがありますので、またいつかTシャツともに紹介したいと思っています。



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