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大阪名物?閉店セール?フェアウェル・ツアー?のCharm man

ヒロセ・ハジメ

■チャーム・マン


よく憶えているのが、昔、1989年頃、ジョーシン電機という家電量販店のCD売場でオジー・オズボーンの"No Rest For Wicked"アルバムを買ったのですが、その時一緒にいた彼女と部屋でCDのカバーを見ながら話したことです。もしかしたらソニーミュージックTVでミラクル・マンのプロモーション・ビデオが流れていたのかもしれません。
彼女が「ザック・ワイルドはかっこいい、オジーは可愛らしいね」というのです。
え?「ザックが可愛いんじゃなくて?」と僕は言いました。ザック・ワイルドのデビューアルバムで当時19歳のザック・ワイルドは本当に綺麗で可愛らしい感じだったんです。ランディ・ローズの再来かと思うような天使な感じだったので。
彼女は可愛いのはオジーだと言います。挙句、オジーのことをオジーちゃんとか言い出すくらいでした。その時はピンと来なかったのですが、女性の感性というのは凄いと後々思い知らされます。確かに、今のオジー、まぁ今のと言ってももう20年以上、僕にとってもオジーは最高にチャーミングな人物です。
多くの人が同意してくれると思います。オジー・オズボーン、ジョン・マイケル・オズボーンはマッド・マンなんかではなく、チャーム・マンだと。

■オズボーンズ


MTVがリアリティ番組の走りとしてジョン・マイケル・オズボーンとその家族に白羽の矢を立てたのはものすごく納得の行くものでした。
もう、番組の内容を観る前から100%面白いことが確信されている気がしました。
音楽系のニュースサイトなんかで、オズボーンズの話題を目にすることはあったのですが、残念ながら日本での地上波放送などはなく、ずっと観たい観たいと思っていたので、番組がDVDになって日本でも発売された時はすぐに買って観ました。
印象的だったのはオジーの血を受け継いだかのような破天荒娘のケリーやどうしょうもないドラ息子のジャックに「一体、お前たちは俺にどうしろっていうんだ?」と困惑しするところ。「あんたも散々人にそんな思いをさせてきたんだろうよ」と突っ込みたくなりました。
あと、ステージで着る衣装についてシャロンと話すところ、「俺は派手な衣装なんか嫌だ、なんでもない黒い長袖のクルーネックシャツがいいんだ」と切実に言っているところ。やっぱりオジーは逆毛を立ててギラギラの衣装でスタジアムロック的になるのが嫌だったんだなぁと、改めて感じさせた一場面でした。

■帝王のマーケティング


80年代、オジー・オズボーンは伝説のバンド、ブラック・サバスから脱退してソロ活動を開始しますが、最初期のギタリスト、ランディ・ローズをはじめ、ジェイク・E・リー、ザック・ワイルドなどのギタリストと組んで、若い才能を世に送り出しています。その独特の歌唱もあり、ブラック・サバス時代の名曲もオジーが歌わないと全く別の曲になってしまうこともあってか、我が物のようにライブで演奏され続けましたし、当時のハードロック/ヘヴィーメタルの隆盛にも乗って、ハードロック/ヘヴィーメタル筋の帝王と呼ばれるまでになりました。
メタリカ、モトリー・クルー、ラットなどアメリカのメタルバンドもオジーと一緒にツアーをすることでサポートを受けて売れていきました。
当然、仲間のミュージシャンからも慕われるわけです。
ただ、そのあたりの差配もマネージャーだった妻のシャロンだったんじゃないだろうかと思います。シャロンは敏腕マネジャーにして一流のマーケッターだったんでしょうね。オジー・オズボーンという商品の価値を最大にして世に広めたのです。
当然、80年代のオジーには産業ロックの香りもプンプンしていました。
オジーも逆毛を立てて、アイラインを引いて、キラキラの衣装でド派手なステージに立ってました。
ただ、オジーも天性の感なのか、もうそんな衣装は着たくない、髪を逆立てるようなことはしたくないと言い出しますし、シャロンも早々にオジー産業ロックの閉業を承認します。帝王、オジー・オズボーンはツアーから引退する。もう皆さんの前には現れませんよ。これが最後です!ってな感じで、1991年に”No More Tears”(涙はない)アルバムを出して、フェアウェルツアーに出ます。
おかげ、”No More Tears”は90年代ロックの勢力図がガラリと書き換わる中で発売された80年代の香りを色濃く残したアルバムでありながら、オジーのカタログの中で最も売れたアルバムになっています。
ピンチを利用して最大の成果を出すというマーケティングのお手本のようなことを実現していたりします。

■閉店セール


ところで在庫一掃閉店セールってのはどこの国でもあるんでしょうか?
僕が印象深いのは大阪の心斎橋筋にあった鞄屋さん、小さなお店だったんですが大阪の難波から心斎橋までのアーケード通りにあって言ったら大阪の一番の商圏にあったお店ですが、その筋は通勤経路でもあったのでまぁしょっちゅう通っていたんですね。
そして、そのお店なのですが、外観からしてもう白い板張りがされていて入り口が開いてる他ウインドウも隠されていて店の中は目隠しのような状態なんですが、赤字に黄色文字で閉店セールと書かれたテープのようなものが貼られていて、なんだかこれからお店を取り壊しますみたいな雰囲気の演出がされているお店があって、僕も一度どんなものが置いてあるんだろうとそのポッカリあいた入り口を潜ったことがあったんです。
棚には雑然と置かれた色々な鞄、ワゴンにも鞄が積まれていました。値札が半分赤くなっててやっぱりそこには白抜きでSaleの文字。値段は20〜30%安くなっているような価格でしたが、まぁお得ー、絶対欲しいーというようなものはなく、それでも結構賑わっていて、もちろん購入している人もいたりしました。
いかにも閉店セールという雰囲気でしたが、驚いたのはその閉店セールが半年ほども続いたことと、閉店セールが終わったと思ったら、白い板が外されていて、なんとなくお店の中は綺麗に整えられて静かな雰囲気になっていたのですが、やっぱり鞄屋さんだったことです。
閉店前は板張りだったのでお店の名前とか見ていなかったので本当に閉店後、別のお店になっていたのかもしれませんが、なんだか狐につままれたような気がしたものです。僕の中にもまだ純粋さが残っていた頃の話です。

■フェアウェルツアー?に行きました


1991年11月5日、大阪城ホールでオジー・オズボーンのさよならコンサートを観ました。
冒頭にも言った当時お付き合いしていた彼女に、もう引退するから二度と観れないよって話をしたら、「観たい、行きたい」となったんです。
ステージのスクリーンに映し出される映像はオープニングから過去のオジーの姿が映し出されたり、感傷的な演出をしているのですが、キラキラ衣装や逆毛をやめて久しぶりに素の姿でカエル飛びを連発、バケツの水をオーディエンスに撒き散らしながら、のしのしとステージを歩き回る姿は生き生きとしており、チャーム・マンらしい可愛らしいくもカッコよく、そして貫禄といげんあるものでした。
とても引退するような雰囲気ではなかったです。
音楽活動は続けると言っていましたし、ほぼ確信的にいつかステージにも戻るんだろうという、寂示唆を感じさせるようなものではありませんでした。
ジョン・マイケル・オズボーン、ヘヴィー・メタル界の帝王にして稀代のチャーム・マン、僕より丁度20歳年上なので、当時42、3歳でした。

■おまけ


オジーちゃんはあれから30年以上経った今でも精力的に活動をしているのですが、やはり、よる年並みには敵わないのか病もあって流石に以前のようなカエルジャンプは見られないようです。
アルバムのリリースや二度目のフェアウェルツアー、ツアータイトル"No More Tours"(?!)もコロナや自身の体調のこともあって延期されたりということが続いています。オジーちゃんだけでなく、終活を迎える大御所ミュージシャン、アーティストそのファンにとってはコロナによるここ数年のエンタメ業界のシュリンクは本当に辛いものです。
ノーマルでもニュー・ノーマルでも構いません。人生の最後の花をどう咲かせ、どう散らすか、納得の行くものであって欲しいと切に願います。


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