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【Profile】これまでの私の道〜美容学生時代〜

神戸/元町 ヘッドスパ専門店muladhara spa(ムーラ・アダーラ スパ)MaRiです。ご覧いただき誠にありがとうございます。
少しづつサロンのことや私のことについてここでお話させて頂こうと思い書き始めました。

HPにもプロフィール欄があり、こちらでもお話させていただいているので宜しければご覧ください。お恥ずかしながら、出来上がった時涙しました・・・

https://www.hyogo-headspa-pbp.com/owner-profile/

まずは、そんな私の経歴から。

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突然、専門学校進学を決意

高校3年生の時、急にメイクの仕事がしたい!!と専門学校進学を決めました。

コンプレックスがたくさんあった私は、メイクを通じて同じ様な想いの方の力になりたい。そんな風に思ったのがきっかけでした。ですので有名人のメイクやブライダル業界で働く「メイクアップアーティスト」ではなく、「リハビリメイク」の第一人者である、かづきれいこさんに憧れていました。現在の私の名刺には「therapist&make up adviser」と記載しています。メイクをもっと身近に、そしてもっと楽しんでいただける様なお手伝いができれば、そして自分に自信をもつきっかけになるツールの1つになれば。そんな想いを込めました。

私は高校生の時、メイクもほとんどしていなかったので、その道に進みたいと話した時、両親はもちろん先生もとてもビックリしていて、猛反対された事を今でも鮮明に覚えています。あの時、理解はできませんでしたが、私のことをきちんと考えてくれていたこと今になると、とてもよくわかります。そして、この時反対してくれた事で、自分の学びたい気持ちが強くなり、挫けそうな時も頑張ろうと思えたので、今では心からとても感謝しています。

そして、念願の専門学校へ

何度も話しあって、無事に念願の大阪ベルェベル美容専門学校に入学。メイク・エステ・ネイルetcトータル的に学びました。集団生活の大切さと大変さ。技術の基礎や美容業としての志や姿勢。たくさんの仲間たちと、たくさんの作品作り。コンテストで結果を残せず悔し涙をしたこともありました。あの時担任の先生が一緒に泣いてくれたことで、余計に涙しましたが、寄り添ってくれる人がいること本当に心強く、大切さを改めて実感しました。

海外研修に行ったり、舞台や、広告撮影のヘアメイクをさせていただいたり最後の学内コンテストでグループ優勝したり、最優秀リーダー賞をいただいたり、厳しい学校でしたので、今では笑い話になる様なエピソードもたくさんあります。濃い2年間でしたので、本当にたくさんの思い出があるのですが、1番の思い出であり、私の原動力にもなっているのが、授業で行かせていただいた介護施設でのボランティアでした。

介護施設での経験

私が担当していたフロアは1階。要支援の方々と楽しくお話をしながらハンドマッサージをしていました。「こんにちは」から、ハンドマッサージに入るまでは時間はかかりません。たくさんの方と楽しくお話しをしながらハンドマッサージをしていて少し時間が経った頃、この授業のリーダーを任されていた私は先生に声をかけられ、全フロアを見せていただきました。1番上のフロアは認知症や要介護の方々のフロアで、階が上がる事に要介護度段階が上がります。ハンドマッサージやメイク、ネイル等をしている生徒はおらず、あやとりをしたり折り紙をしたりしていました。

その1番上のフロアで私が初めてお話をした女性の方は、私たちを見てビックリされていて、不審がっていてなかなか会話ができずにいました。近づくこと、手を触らせていただくなんてもってのほかです。今考えれば当然です。髪型も服装も自由な学校でしたので、めちゃくちゃ派手な生徒ばかりでしたし、私もその1人でした。そんな中、職員の方のサポートのおかげで、少しづつお話しをさせていただいているうちに、あなたがやってくれるならとネイルをさせていただけることにな理ました。ここに至るまで、かなりの時間が経っていました。1Fのフロアで言うと5名以上の方のハンドマッサージは終わっている時間が経っていたと思います。

私はとても嬉しい気持ちで、何気ない会話をしながら、時には私のことをお孫さんと間違えるその方の両手を塗り終えました。本当にキラキラした目でありがとうとニコニコ笑ってくださり、両手をかざしながらずっとご自身の爪を眺めていらっしゃったんです。ですが、10本のうち、検査の為、両手人差し指を塗ってはいけない決まりになっていたので、8本しか濡れなかったんです。それに気づき、その塗っていない2本がいやだと泣きだしてしまって・・・ほんの数分前までは、手を握ることさえ、会話することさえできなかったのに。職員の方がどれだけ説明されても、なかなか納得してもらえませんでした。戸惑っている私に、それぐらい嬉しかったのねと職員の方が声をかけてくださいました。それから少しそのフロアの他の方ともお話しをさせていただきましたが、担当していた1階のフロアの様に、お会いしてすぐに技術を提供することは、最後までありませんでした。

今でも私を支えてくれる言葉、そして想い

そして、私たちが帰る頃、最初にネイルをさせていただいた方が職員の方と私のところに来てくださったんです。あなたを探してたんですよと。そして、私の両手を握って、『あなたに会えてよかった。今日はありがとう。こんなにキレイにしてくれて本当に嬉しかった。あなたの目指しているお仕事はとても素敵なお仕事よ。だって、直接お客様にありがとうと言ってもらえるお仕事はそんなに多くはないわ。がんばるのよ。』と。

その握ってくれている手は、触らせていただくまで、とても時間がかかった手です。でも今はこんなにも自然に握ってくれています。さっきまで、なかなか合わなかった目もしっかりと合わせることができましたし、お話しもきちんとできました。表情もとても柔らかく、言葉もとてもスムーズに出ていたんです。心が通った瞬間。肌で感じました。年齢や性別、環境問わず、私が何かご提供することで、喜んでいただくことはもちろん、和らぐことや緩むこと。そして、私がいただく優しくて暖かいもの。こんなに素敵なことはないなと。そして、手から伝わるもの、伝えるもの。この仕事で頑張っていこう。そう強く思いました。これが私の原点であり、大きな原動力です。

最後に代表して施設の方々にご挨拶のお手紙を読ませていただく予定でしたが、私は声も出ないぐらい泣いてしまって・・・私だけじゃなく、一緒に泣いていた人は少なくなかったので、それぞれが色々な想いに触れることができたのだと思います。あんなに練習して書き直した手紙は全く意味がなくなるぐらい言葉が出なくて。ただただ、ありがとうございましたと泣きながら繰り返し頭を下げたこと覚えています。

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そして、今想うこと、できること

その方に直接お礼をお伝えすること、恩返しはできないけど、私がこの仕事を続け1人でも多くの方に寄り添うこと、素敵な仕事と教えてくれたセラピストを続けることが恩返しに繋がる様な気がしています。セラピストとして大切なこと、楽しさを教えていただき、それから様々な経験を経て、今まで18年この仕事を続けてきました。そして、この経験があったから、友人の働く介護施設にお願いをして、ボランティアをさせていただいていました。ハンドマッサージやメイクetcこちらでも様々な経験をさせていただき、暖かいものを本当にたくさんいただきました。セラピストになってよかったなと改めて思うことばかりです。

私は、美容業を辞めようと思ったことは1度もありません。ですが、もちろん苦しかったり、辛かったり悩むことも多々ありました。その時いつも思い出すのは、あの施設で出会った方の笑顔とお言葉、あの日の経験です。何度も何度も支えていただきました。精神的に身体を壊してしまっても、この仕事を続けて来られたのは、あの時向き合って反対し、今では心から応援してくれる家族や友人、そしてあの施設で出逢った方の言葉と経験だと思っています。

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