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(進捗あります)堤方神社の狛犬再奉納のこと

 とても書くのが遅いのだがとにかく数文字づつでも書いている。1月もざっくりまだ1週間ある。次章の公開予定日である2月15日まで諦めずに書き続ける。


 今日は狛犬が新しく奉納された例が近所にあったのでそのことを書きたい。

 池上本門寺の近くで呑川と池上通りが交差する辺りを堤方と呼ぶ。橋の名前も堤方橋である。堤方神社は堤方から池上本門寺の墓地の方に、めぐみ幼稚園の前の坂を上ったところに鎮座している。この狛犬を再度みておこうとお詣りして、狛犬がないことに気がついたのが一昨年、2018年10月のことだった。翌年の春頃には作り直した狛犬が奉納されていたのではないかと思うが、私が確かめに行った時には夏になっていた。以下に写真を並べるのだが、2014年に撮った狛犬と昨年夏に撮った狛犬だ。

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 少しアングルが違う写真になってしまったが、要は同じ構図の狛犬を新たに彫って奉納されている。なお、元の狛犬は明治40年(1907)7月に奉納されたもので「池上村 石工 松坂重吉」の署名が刻まれていた。名刹であるところの本門寺の門前であるから池上には石工は当時から多かったのではないかと思われる。なお今松坂の名を継ぐ石材店は池上では見つけられていない。

 新しく奉納された狛犬はというと「岡崎 嶺田伸治彫刻店」の署名が彫られている。岡崎も石工品が名産の土地で石工が多い。例えば明治から大正にかけての岡崎の石工六代目酒井孫兵衞という人は、分業で効率よく狛犬を彫る手法を確立してかつそれを教えることを厭わなかった方である。昭和以降の狛犬のかなりの数が似た姿をしている理由は酒井孫兵衞氏の業績によるところが大きく狛犬を見る者にとって岡崎の地名は親しみ深い。似た狛犬が多いお陰で面白味が減ったように感じてしまうという側面はあるのだが。

 嶺田伸治さんというお名前は寡聞にして知らなかったがネットで調べると長野県上田市の日蓮宗の寺院に納めた亀の像を嶺田さんが彫ったという記事を見つけた。この辺りは本門寺はじめ日蓮宗の寺院が密集しており、堤方神社の氏子と近くの寺院の檀家は同じであろうから、宗派つながりで紹介する方があったのかもしれない。

 新しい狛犬について、私としては形をなぞる余りに表現が表面的になってしまったかな、という感想を持っている。だが氏子の方々が元からの狛犬に愛着を持って同じ形でを奉納しようと決められ、それに答えた彫刻師がおられたということの方を尊ぶべきかという気がしている。なお新旧とも阿吽とも子供を連れている、私のいう「子連れ狛犬」である。

 役目を終えた松坂重吉の狛犬は、屋根のあるところで余生を過ごしているのだろうか。そうであってほしい。


『関東子連れ狛犬の系譜』シリーズは少しづつ、今書いているものがどこかに響けばと願いつつ書いています。