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story 月夜〜沙耶編〜

薪を割る音がする
薬草摘みから帰ると
沙耶は庵の裏へとまわった
薪は小気味良い音を立てながら
辺りへと転がっていく
野良着が良く似合うている
沙耶が近づくと
左伊は手を止め
汗を拭いた
目当ての薬草は採れたか
左伊が聞くと
沙耶は籠を傾けて見せた
傷はもう良いのか
あまり無理するな
沙耶が言うと
左伊は腕を回して見せた
この通り
沙耶のお陰だ
穏やかに笑う左伊が
沙耶には眩しく感じられた
これだけあれば
婆婆様も沙耶も
春まで寒い思いを
することはなかろう
左伊は満足げに
積み上げた薪を見ている
左伊が庵に拠ってから
三月になろうとしている
傷はすっかり癒えたようで
畑仕事から
水汲み
薪割りなど
身の回りの細々としたことを
引き受けては体を動かしていた
沙耶にとって
左伊のいる暮らしが
当たり前になろうとしている
いずれ時がくれば…
分かっていたことだ
そう
初めから…
沙耶は自分に
言い聞かせるように
呟いた
晩秋の日が暮れ始め
足元の落ち葉が揺れた
木枯らしが吹き始めている
もうその時が近いのかも知れなかった

沙耶は目を覚ました
まだ薄暗い
炉の火が消えかかっている
左伊…
沙耶は寝巻きのまま
土間に飛び降り外へ駆けた
行くのか…
左伊は黙っている
死装束に鎖帷子
あの日の左伊が
脳裏に浮かぶ
行かねばならない…
覆面の下で左伊は
静かに言った
失うことの怖さ
沙耶は崩れそうな自分を
必死に支えている
左伊は
沙耶の内に潜む
深い悲しみを
分かり始めている
勝ち気な口調の陰に
戦に焼かれ
何もかも奪われた
幼子の沙耶がいる
左伊は沙耶の首に紐をかけた
紐の先に綺麗に磨かれた
琥珀の石がついている
私の守り形見だ
母が亡くなる時に
くれたものだ
沙耶に持っていて欲しい
もし私が春になっても戻らぬ時は…
左伊が言いかけると
それも定めだ…
細い声で沙耶が言った
待っている
ここで
その言葉を聞くと
左伊はいつもと変わらぬ
穏やかな目で沙耶を見て笑った
沙耶は目を伏せた
顔を上げた時
おそらく
左伊の姿はない
沙耶は強く
琥珀の石を握りしめた

左伊編へ続く…

ことばはこころ。枝先の葉や花は移り変わってゆくけれど、その幹は空へ向かい、その根は大地に深く伸びてゆく。水が巡り風が吹く。陰と光の中で様々ないのちが共に生き始める。移ろいと安らぎのことばの世界。その記録。