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story あるヘビのはなし

おい、ここは俺の縄張りだぞ
藪に住むヘビは
蝶が舞って来たのをみて
低い声をあげた
生まれた時からここに住んでいる
ここはおれだけの場所だ
ヘビの住む藪は
近くに沢が流れ
湿り気と日陰のある
居心地の良い場所だった
カエルが来ても
ネズミが来ても
キツネが来ても…
どんなやつも
おれの藪には入らせない
ヘビは
黒い軀をくねらせて
スルスルと藪の中を這って回った
ところがある夏
藪の近くを流れる沢が涸れた
雨が降らず
日照りが続いた
流れの消えた沢の底が
剥き出しになった
藪はカサカサと
乾いた葉擦れの音を立て
地面は熱く照り返る
ヘビは耐えきれず
沢の上流を目指した
ハァ ハァ…
息が切れる
朦朧としてくる頭で
ヘビは思い出していた
日照りが続き始めた頃のこと
一匹のカエルが
沢の水を求めて
ヘビのもとへ訪れた
少し、沢の水を分けてもらえませんか…
私たちの住む小川は
もう水が涸れてしまって
このままではみんな
日干しになってしまう…
ヘビは無碍に追い返した
カエルはしばらく
だまっていたが
くるりと背を向け
日照りの中へ
帰って行った
皮が背中にはりついて
細く萎びていた
次の日は
母ネズミが来た
子ネズミに水を
分けて欲しいと言った
ヘビはまた
追い返した
その次の日は
老いたキツネが来た
キツネが何か言おうとする前に
ヘビは追い返した
追い返した
追い返した…
そして沢は涸れた
俺は何を
守ろうとしていたのか…
カエルはすぐに死んだだろう…
ネズミの親子も…
老いたキツネも…
俺は何を
したかったのだ…
この期に及んで
水を求めて彷徨っている
ヘビは沢の上流を見上げた
そして
小さくひとつ震えると
こくっとそのまま
動かなくなった
閉じた瞼の間から
一雫
涙が流れた
焼かれるように体が熱い
身悶えしながら
ヘビは自分の体が
白くなっていくのを見た
白く透けた体は
尾の方から砂金のような
粒を舞い上げながら
消えていく
消えながらヘビは
恍惚とした
罰で焼かれてしまうなら
私の煙で
どうか雨を降らせ給え
… 


湖沼のそばに
小さな祠がある
もう何年も前のこと
日照りが続いた夏
途方に暮れた村人のひとりが
乾いた沢の上流を
大きな白いヘビのような雲が
天に昇るのを見た
呆気にとられて眺めていると
頬にポツリと
何かが当たった
一雫
また、一雫
それは幾筋にもなって
地を濡らした
そして雨は降り続き
村は潤い
湖沼ができた
白いヘビの言い伝え
欲張りすると
日照りがくるぞ
みんなで分ければ
慈雨が降るぞ
藪にいた
ある一匹の
ヘビのはなし

ことばはこころ。枝先の葉や花は移り変わってゆくけれど、その幹は空へ向かい、その根は大地に深く伸びてゆく。水が巡り風が吹く。陰と光の中で様々ないのちが共に生き始める。移ろいと安らぎのことばの世界。その記録。