ありがとう、そしてごめんなさい

こんばんは、向田です。この苗字も使うのは僕だけとなってしまいました。さみしいね。

さて今回は感情のやりとりということについて話していきたいと思います。
感情のやりとりといっても、ダディとのやりとりです。

自分にとって利益だったことにありがとうというのは大事ですね。
私もこれに関しては喜んで毎日しています。毎日…できているかな?
でも利益があってありがとうと伝えることには何もマイナスなことはないですよね。
怖くもない。だってありがとうと伝えて嫌われることってないですから。
そりゃ嫌味でね、ありがとうと言えば嫌われますよ。
ある程度シーンがおかしくなければ、ありがとうと伝えることで嫌われることってないと思います。

問題は不利益だったときに伝える「私は怒っていますよ」の感情表現です。
こちらは下手をすれば嫌われます。
有難迷惑とかね、なかなか難しいですよね。
好意でやってくれたことに対して、好意とわかっていても自分にとって嬉しくないことってありますよね。
今回のトラブルはそれでした。
私としては「役に立てればいいな」とおもってやったことだったのですが、ダディにとってはやってほしくないことだったようで、そこのやりとりがうまくいかなかったんです。
前にも一度はすでに言われていたことだったので私の確認不足だったなというトラブルでした。
私が外出しているときにダディがこっそりツイッターにポストした内容で気付けたのですが、私は外にいながら「やべぇやっちまった」と絶望しました。

怒られて逆に怒るっていう風にはならなかったので良かったのですが、私もすぐに「ごめんなさい」が言えるほど大人じゃなかった。
別に逆ギレしたというわけではないのですが、なかなかごめんなさいが頭に浮かばなかったんですね。
そろそろ家に着くぞという頃になって、「このままじゃおうちに入れないな」という罪悪感が大きくなっていったのです。
私はそこで初めて「ごめんなさい」という言葉を思いつきました。
遅かったなと思います。
それでも私は一度あゆみを止めて「ごめんなさい」とLINEしました。
そうしたらダディは「僕もごめんね」と言ってくれたんです。
だから私は思いました。
「きっとダディだって怒らずに済んだほうが気持ちが穏やかだったんだろうな」と。

ダディは「直接言ってよ」と逆ギレされた経験があるようで、ツイッターに書き込んだことも「うまく感情の表現が出来ないな」と感じているようだったのですが、私は十分ありがたいなと思っていたのです。
直接言えば喧嘩になるし、と悩んでいたダディ。
まさにそうなんですよね。私もすぐにごめんなさいという言葉が頭に浮かばなかった人間なので、喧嘩になってしまうことは容易に想像がつくんですよね。

私とダディにとって、ツイッターというツールを使うことや、お互いが離れた場所にいるときに気持ちを伝えるという方法はとても合っているんです。

もちろんその人たち同士にとって、ベストな感情の伝え方は違うと思います。
二者間でも複数人でも、その人たちにとってよりよい気持ちの伝え方はあって、それはきっと多種多様なんだろうなと思うのです。

私はすぐに言葉が頭に思い浮かばないときはたくさんありますし、自分にとって好きじゃないような黒い感情がぶわっとわいてくるときはあります。
そういう時、私もいつも相手と距離を取ります。物理的にも心理的にも距離をとって一人になって、そうして自分の真っ黒になった気持ちの中からひとつひとつ原因を見つめていきます。
真っ黒くろになった感情の中で自分だってそんなの思いたくないっていう感情をもっともっと深堀していくことでその見たくもない消してしまいたい感情を昇華していくことができます。

いやだ、見たくないっていう感情は見つめないと、そのままゴミ溜めに送られて、忘れたころに倍になって自分の心を埋め尽くします。
だからそうなる前に「どこかへいってね」とさよならすることが大事なんです。
嫌いじゃないのに「あんたなんて大嫌い!」という言葉が頭に浮かんで埋め尽くされてしまったときは、そうじゃない理由を考えるのと同じくらい、なんでそう思っちゃうのか、つらいとは思うけど向き合うことも考えることもとっても大事なんだよ、と言いたいです。

ごめんなさいにたどり着くまで、私もいっぱい考えました。
そうしてたどり着いたごめんなさいには我慢はひとかけらもなかったんです。
そういう風にじょうずに感情や気持ちと向き合うことはなかなかできないけど、それが出来たらとっても気持ち良いですよ。

と、今日はこんな感じで終わろうと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

向田つばさ