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なぜ差別が生まれるのか ~ヒトには「人間三原則」がある~


 新型コロナウイルスの猛威がまだまだ収まりません。

 それと同時に、わたくし武庫川の身の回りでも、コロナウイルスに罹患した人への差別的言動が多く見聞きされるようになってきました。

 現代ビジネスの記事にも、その様子が描かれていますが、

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72245

私の身近なところでは、

◆ 一番最初にその町で罹患した一家は、引っ越さざるを得なかった

◆ コロナ患者の家は落書きだらけにされる

などを聞くようになりました。(私の市町村内ではないので、根拠のない伝聞かもしれませんが、そうした話がどんどん増えています)

 こうした事態を踏まえて、都会から実家に帰省する動きも

◆「もし実家の地域にウイルスを持ち込んだら、村八分の上、末代までたたられる」

と、事実上不可能になっています。


 こうした事態を見聞きしながら、「実際に差別が今起きているし、こうして次世代につながる差別が生まれていくのだな」ということを実感せざるを得ません。


 リベラルな感覚や、人権思想の上では、こうした差別は「いけないこと」「許されないこと」だと教えられてきましたが、実際に「ウイルスを持っている人」がそこにいれば、ほぼすべての人が忌避することは、いわば当然だと思います。

 ここに「差別をしてはいけない」というお題目と、「差別をしてしまう・あるいはソーシャルディスタンスと言い換えようが、離れなくてはならない」という現実がぶつかりあうわけです。

 「あの子と遊んじゃだめよ」

というお母さんの言動は差別的ですが、

「あの子は熱があるそうだから、遊んじゃだめよ」

ということが、今日も世界中で起きているのです。


 こういうことをつきつめると、恐ろしいことが生じます。それはつまり、

「理由が正当にあれば、差別をしてもよい」

という発想や感覚が生まれてしまうということです。


◆A ばい菌やウイルスを持っている人からは離れるべきだ

◆B ばい菌やウイルスを持っている可能性がある人からは離れるべきだ

◆C 怪しい人からは離れなさい

 AからCへの移行は、とても早く起きることは想像に難くないでしょう。それが「悪いことである」といくら主張しても、生物としてのヒトは何万年もそうして被害を避けようと生きてきたのですから。

 自由で平等な社会は、この点をまだ「しっかり・はっきり」説明できていないので、差別は今日もなくならないのですね。悲しいことですが。


 実は、人が文化的、社会的にどのように生きるべきかについては、誰も主張していませんが、「隠れた原則」のようなものがあります。

 一般に、ロボットについては、「ロボット3原則」というルール、もしくは哲学のようなものがあり、SFなどではさかんに取り入れられています。その3つのルールとは

1) 人間に危害を加えてはならない。あるいは、危険を見過ごしてはならない。

2) ロボットは人間の命令に従わねばならない。ただし、第1条に反する場合は、そうではない。

3) ロボットは第1条と第2条に反しない限り、自分を守らねばならない。


 というもので、SFの大作家であるアイザック・アシモフによって提唱されました。

 ロボットの場合は、あくまでも「人間に従属するもの」として人間に創造されましたから、「人間に危険を与えない」ということがすべてにおいて優先されることは、それほど不思議ではありません。そして、一番最後に、「自分を守る」ということが来るわけです。


 ところが、人の場合は、どうしても「自分を守る」ということが先に来ます。これまた、人類である以上、不思議なことでもないし、むろん当然のことでしょう。


 では、人類の3原則はどうなるでしょうか?

【人間3原則】

1) 人は、自分を守らねばならない

2) 人は、自分に危害を加える相手を除外してよい

3) 第2条の相手が人である場合は、第1条が優先される


 人類史の上で起きているすべての出来事は、この「人間3原則」に則っています。

 人は自分を守ることを優先し、もし、自分を殺そうとする相手がいればその相手を殺しても許されます。(正当防衛・戦争)

 ロボットと異なり、人は従属する存在ではなく、自分自身が独立した存在ですから、自尊をかけた戦いの場合は、相手を倒すことも許可されます。

 従って、第3条のように、敵対者が人であっても、「それを除外したり、殺してしまうこと」も許されるわけです。


 こうしてつきつめて考えると、コロナウイルスに関連する差別が起きてしまう理由は、とても納得できるものになります。

 コロナウイルスを持っている相手が「人」であっても、それを除外しようとする動きが生まれるのは、人類の原則どおりなのだ!という恐ろしい事実です。


 その上で、「差別はいけない」ということを改めて考えるには、この

人間・人類3原則を改める

人類の原則を設定しなおす

必要があるのかもしれません。あるいは第4の条項をつけるということもありえるでしょう。


 解脱者武庫川としては、この件について今すぐここで正式で正確な答えを出すことは、とうていかないませんが、人が生きてゆくうえで、この人間3原則とどのようにつきあってゆくかを考えることは、大事だと思います。

 世界の科学者さんや、哲学者さんに、納得のいく答えを考えて欲しいものです。



 




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