【神になるための入門講座03】 なんのために神になりたいのか
前回は、世界の神話を覗きながら「どんな神になりたいか」について考えてゆきました。
そうすると、神になるのはいいけれど「巨人」になってしまったり、意外と争いに明け暮れていたり、ましてや「死ぬ」ことも判明して、
あまり人間である時とかわらない
ことにも、少しだけ気づいてしまったわけです。
それでもこの連載では「神の王に俺はなる!」と強い信念を持って、つき進んでゆきますので、それらの困難に打ち勝って神になりたいわけです。
そこで大事なことを考えてみます。
なんのためにあなたは神になりたいのでしょう。
実は「神にならなくても別にいい」という人たちはたくさんいます。人のままで十分である、という人が大半だと思います。
なぜ彼らは神にならなくても平気かというと
「人のままで十分満足した生活を送っているから」
に他なりません。
ということは、すごくすごくグサグサくることを言ってしまえば、今ここでこれを書いている私や、これをワクワクしながら読んでいるあなたは
「現実世界でうまく行っていない、残念な子である」
ということになります。
これ、バレると実はヤバい話ですね。
そもそも、現実世界がそれなりにうまく行っていれば、「神になりたい」なんて考えもしません。現実世界でどんづまりだからこそ「神になれたらいいな」なんてことを考えてしまうという、残念なお知らせなのです。
いや、それでも俺は神になるんだ!という前提でお話は進みますから、安心してください。最終回には必ずや、「現実世界でダメ人間でも、なんとかえっちらおっちら神になれる方法」をお知らせする予定です。
さあ、あなたはなんのために神になりたいのでしょうか?
まず、自分の欲求に素直に、正直に考えてみましょう。現実世界ではダメ人間でどんづまりなのだけれど、それを打ち破って強大なパワーを手に入れたいので、だから神になりたいと考えるのは素直でよいと思います。
そういうチート術があればいいなあ、と誰もが考えます。
お金があればいいなあ。
彼氏や彼女にモテたいなあ。
タワマンに住んで、部長か起業家かしらんけど、有名になりたいなあ。
何者かになれたらいいなあ。
いやいっそ神になれたらウハウハだろうなあ。
ということですよね?わかります。
でも、そういうことでしたら、たぶん
「宝くじが当たるのと、神になるのとどっちを選ぶか?」
という状況になれば宝くじを選ぶのではないでしょうか?
わたしは解脱者ですが、神になって天に登ってしまう前に、宝くじを選ぶ可能性が大です。(笑)
宝くじが当たるのであれば、神になる必要は全然ないからです。(どっかーん!)
ですが、本当に神になりたいのであれば、宝くじの欲求を振り払わなくてはなりません。
この段階で、宝くじに負けてしまって
「そっかあ、僕たちわたしたちは、実は神になりたいんじゃなくて、宝くじが当たればいいだけだったんだ」
という人がふるい落とされたと思われます。
実は一足先に神になったらしい「イエスキリスト」もおなじ選抜試験を受けていて、「荒野の誘惑」として有名なエピソードがあります。
イエスは、あるとき、荒地の中で40日に渡って飲まず食わずで修行します。
そこに悪魔がやってきて誘惑するわけです。
「お腹がすいたのなら、石をパンに替えればいいじゃん」
とか
「俺にひざまずくなら、すべての国々の支配権をやろう」
とか、そんなことを言ってゆさぶります。
そして、最後は高い場所に連れていって
「ここから落ちても、おまえ神の子なら死なねーんだろ?」
と、けしかけます。
イエスキリストは、これらすべての試練に耐えて、晴れて神の子として真価を発揮するわけですね。
(具体的に、どうやってキリストがこの試練を乗り越えたかについては、ググって調べてみてくださいね)
なので、みなさんも宝くじの試練ごときには負けてはいられません。神になりたいのであれば、モテにもパリピにも権力にも、迷ってはいけないのです。
前回、天使が地上の女性の色香に迷ってエッチをしてしまい、巨人ができちゃった話をしましたが、そのせいで天使たちは神通力を失いました。
あなたも神になりたいのであれば、神通力を失わないように、この世の魅力には惑わされないようにしないといけない、ということです。
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ところで、世の中には、これらとはまったく逆の高尚な理念で「神になりたい」と考えるけったいな人もいます。
それは「私は弱き者や、苦しんでいる者を救いたいんだ!だから神になりたい」という人です。
人間世界は、矛盾やうまく行かないことだらけで、その中では弱者や苦しむ者が必ず生まれてしまいます。それをなんとかしたい、どうにかしたいので「神のような力があれば、紛争や災害や、貧困などが解決するのではないか?」と考えるのは、悪いことではないでしょう。
さきほどは「けったいな奴」と思わずディスってしまいましたが、私の心根が腐っているだけでしょう。ごめんなさい。
人間の力では、確かに限界があります。どんな理想の政府、理想の国家、理想の社会を作ろうとしても、きっとうまくいかないでしょう。神ではない私たちには、「完璧で完全な社会」を作ることは、まだまだ叶わないのかもしれません。
ところで、そんなあなたに尋ねたいのですが、
「完全で完璧な理想の社会とはどんなものですか?」
と。そのお答えはいかがでしょう。
たとえばですが、
「弱き生物が食べられることがないような、ヴィーガンの社会」
でしょうか?
「心身に障害を持つ人であっても、年収1000万くらいが確保される社会」でしょうか?
「そもそも苦しい労働をしなくても、生きてゆける社会」でしょうか?
「すべての人が平等で、完璧に所得を分け合うようなスーパーウルトラ共産主義社会」でしょうか?
「世界中の国家が、同じバランスで過ごし、権力者がそもそもいない空前絶後の無政府主義社会」でしょうか?
・・・考えればキリがありませんが、ここらで一度くらいは「あなたが理想と思える、完璧な社会」についてある程度定義しておくのはよいかと思います。
そして、その定義の範囲が
「人間だけに適用されるのか」「猫ちゃんもそれに入るのか」「牛さんと豚さんと鶏さんは幸せであるべきか」
などもきちんと考えておく必要があるでしょう。だって、神は人間だけでなく、ミジンコやアメーバも創造したわけですから、そこらへんまで手当てをしておく必要があります。
もし、あなたがウルトラデラックスで、ウルトラリラックスな存在になったとして、その恵みの適用範囲が「人」に限定されるのであればそれはたぶん神ではなく「人」です。
神であれば、当然ながら、大腸菌のことを無視したり、コロナウイルスを見なかったことにするわけにはいかないのです。
もちろん、これを書いているわたくしムコガワは神を目指していますので、ミトコンドリアでさえも平等に愛することを目指します。ハイエナちゃんたちの喜びのために「腐肉」を用意しなくてはなりません。シデムシちゃんのために、「屍肉」をも等しく用意しなくてはいけないのです。それが神になる覚悟です。
これらのことを突き詰めて考えてゆくと、おのずと明らかになることがあります。
それは
「あなたは自分のために神になりたいのか」
「それとも誰かのために神になりたいのか」
ということです。
もし、自分のために神になりたいのであれば、神になる努力をするよりも
「あなた自身になる」
努力をしたほうが、はるかに簡単だし、楽ちんです。
荒野の誘惑もないし、焼肉も食べられます。
いや、それでも神になりたいのだ!という頑固なあなたのために、この連載はまだまだ続きますが、今回も何名かの神柱候補生が脱落したことと思われます。
人には人の、乳酸菌。
(つづく)
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