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ワッチタワー ~オカンと僕と、それからエホバ~ <1>


 この世界には、とてつもなく確実なことと、とんでもなく不確実なことがそれぞれ1つずつある。

 確実な方は、すべてのものは死ぬ、ということだ。

 どんなに科学が発展しても、どんな偉大な宗教者が現れたとしても、すべての人やモノは死んで、消えてしまう。いまだかつて誰も、「生き続けることに成功した人」はいない。ブッダもイエスも、少なくともこの世界では死んだのだ。

 不確実、というか誰にもわからないのは、このセカイがどうやってできたのか、ということだ。

 ある日ある瞬間に勝手にできたとは思えないこの宇宙が、どうやってできたのか誰も知らない。いろんな可能性を考え、仮説を立ててはみても、結局誰もこのセカイの外側から、自分たちのいる内側を覗いてみることなんてできやしないのだ。

 僕たちがどこから来て、どこへ行くのか。

 結局、人間の問いは、この2つに集約されてしまう。それに科学が答えを示すことができないとすれば、とりあえず今のところは、その問いへの答えを示すのは宗教の役割ということになるだろう。


 それが真実かどうかはともかくとしても、「こうだ」と言い切ってしまえば、あるいは言い切られてしまえば、それは一つの結論となり、幸か不幸かそれを信じてしまったり、それを受け入れるということも、このセカイではよくあることだと思う。

 「うちの会社ではこうなんだよ」とか、「去年もそうやって対応したよ」と言われたら、それが真実で正義かどうかだなんていちいち検証しなくても、なんとなく僕たちはそういうもんか、とも思ってしまう。まあ、そういうもんなのだ。

 だから、このセカイは神様が創ったもので、このセカイの外側には、唯一絶対の神様がいる、と言われれば、「そうなんだ」と信じてしまう人たちもたくさんいる。それが良いことか悪いことかなんてことは一旦脇に置いておいて、とりあえず、まあ、そういうもんなのだ、としか言いようがない。人はそういうもんなのだ。

 うちの場合は、その神様とやらをまっさきに信じたのがオカンだった。今となってはもう70歳を過ぎ、多少往時の元気もなくなってきた小さいオバハン・・・・・・というかすでにオバアハンの領域に差し掛かっているオカンは、我が家族を崩壊させた元凶でもあり、そして、人類の希望でもある。


 今、僕はオカンのことを「人類の希望」と書いた。これはけして間違いではない。オカンは我が家に宗教を持ち込んだ張本人で、そしてそれゆえにうちの家族はバラバラになってしまったのだが、それはそれとして彼女はそれでも「人類の希望」とでも言うべき存在であることは断言できる。これを読んでいるみなさんの「?はてな」が浮かぶ姿が目に見えるようだが、まあそう慌てなさんな。話は長くなるのだから。

 「宗教による家族崩壊の物語」というやつはわかりやすい。親が新興宗教にのめりこんだせいで、家族がめちゃくちゃになり、子供たちは不幸のズン・ズン・ズンドコに落ちてしまう、なーんてのはどこにでもありふれていて、もはやメジャーな存在だと言ってもいい。そんな物語が読みたい人は、本屋か図書館か、あるいはちょっとグーグル先生で検索すれば、いくらでも実録体験談を読めてしまうだろう。

 ちょっと悔しいのだけれど、当然のようにうちの家族も典型的な「宗教崩壊家庭」となってしまい、家族はそれぞれ苦労辛酸を舐めたのではあるが、それだけでは面白くないので僕はこれを書いている。この物語の本質は、「宗教による家族崩壊の物語」なんかじゃない。むしろ、それを蹴散らすような、

「このセカイで幸福に生きるための物語」

に他ならないからだ。


 先に断言しておこう。これを読んでいる方の中には、どんな宗教かは知らないけれど、その宗教とやらのせいで家族がバラバラになり、自身も不幸のズンドコに落ちてしまったと感じている人がいるかもしれない。

 そうした人たちはきっと救われる。いや、救うのは僕の力ではなく、この物語の力、いやオカンの力かもしれない。そりゃあそうだろう、家族をメチャクチャにするような強大なパワーを持っているオカンなのだから、悩める子羊の一人や二人を救うなんてことはたやすい。もしあちゃらのセカイに悪魔が存在するとすれば、その悪魔は神に成り代わろうとするぐらいのパワーの持ち主であるだろうから、僕らはその力を認めざるを得ないってわけだ。

 「ち、ちょっと何言ってるかわかんない」というどこかの漫才師の名セリフが聞こえてきそうだが、そんな周囲の戸惑いなど知ったこっちゃないという感じで、話をすすめよう。

 さて、ワッチタワーというのは、見張り台のことだ。よく日本のお城なんかへ行くと、大天守があって、それを取り囲むように、城の四隅にちっちゃい天守のような「櫓(やぐら)」がある場合がある。あれはなんのための建物かといえば、見張り台で、遠い場所から敵の様子を伺うために作ってあるのだ。

 この「ワッチタワー」という名称がタイトルになっている雑誌を発行している宗教団体が、いわゆる「エホバの証人」と呼ばれる人たちで、正式名称を「ものみの塔聖書冊子協会」という。ワッチタワーは英語版、日本語版の雑誌名は「ものみの塔」だが、つまりは「見張り台=物見の塔」というわけだ。

 ここでひとつの疑問が生じることだろう。見張り台はまあ良いとして、いったい全体何を見張っているというのか。なぜそれがこの宗教団体の機関誌のタイトルなのか、ということは、その宗教の外部にいる人たちからみればよくわからないに違いない。そもそも、世間一般では「エホバの証人」と呼ばれる阿佐ヶ谷の姉妹たちみたいな人たちが、日曜日の朝から玄関のピンポンを押しまくって現れることはよく知られているが、その配っている雑誌名までは興味がないだろうからだ。

 答えをさらっと言ってしまえば、見張っているのは「このセカイの終わりの兆候」である。いわゆるキリスト教的な概念で言うところの、「最後の審判」でもいいし、「ハルマゲドン」でもいい。細かい教義はどうでもいいとして、とりあえずこのセカイを創ったらしい神が、セカイを滅ぼすために起こすとんでもない事態・・・・・・それが大災害なのか、もっと恐ろしい何かなのかは知らんけど、それが起きる前にはいろんな兆しがあるだろうから、それをずっと見ているというわけだ。

 物事にはホンネとタテマエ・表と裏があって、なんでも両面から捉えることができるのだが、僕が「エホバの証人は、ハルマゲドンが来るのを見張っているのだ」なんて書くと、「いいえ、それは違います!」という反論が信者さんから来るかもしれない。

「私達が見守っているのは、神様の創る新しい王国の到来です」

なんてね。そりゃあ、新しい王国が来るのかもしれないけれど、その前に「今のものは全部ぶっこわす」と明言しているのだからどっちゃでもいっしょじゃねえか、とも思うわけだが、口には出さない。

 まあともかく、ハルマゲドンとやらが来て、このセカイがえらいことになってすごいことになって、それで信じるものだけ救われる、みたいな感じでそのあとに神様の新しいセカイが生まれる、という話なんだけれども、「そんなら最初からすばらしいセカイを作りゃよかったじゃねえか」とかそういうツッコミが生まれるのも当然なのだが、そこはまあ、いろいろあるらしいので、口には出さない。なんしか、スクラップアンドビルドなのだ。

 とりあえず、簡単にまとめておくと「エホバの証人」の人たちはいったい何をしているのかというと、末端の信者さんたちは「こんちには~、滅びますよ~」ということを誰彼となく伝え歩いているわけなのだが、厳密に言えば他のキリスト教の人たちと何が違うかといえば究極のポイントはたった一つのものすごい違いがあるのだ。

 それは、

「このセカイがいつ何時、滅びるのか計算している」

ということだ。これを聞いて、えー?!うそー!まじで?と思う人たちがたくさんいるだろう。そんなもん、計算できるの?そんな日がわかるの?と。

 そう!わかるのだ。エホバの証人という宗教をはじめた、アメリカ人のおっさん・・・・・いや失礼、一人の人物は、「その計算方法を見つけた!」と小躍りして喜んだのである。これはすごい!ワシは見つけてしまった!聖書に書かれているハルマゲドンのやってくる日付が、計算できてしまう!これは神から私達への警鐘に違いない!と。

 そこで誰もが思うはずだ。それが本当だとすれば、どうすればそんなことが計算できるのか?と。その方法っていったいどんなものなの?と。

 『ピラミッドじゃ!ピラミッドの寸法がその答えなのじゃ!』

 そのアメリカ人のおっさんの名は、チャールズ・ラッセルさんという。彼は大真面目に、聖書に書いてある年代と、エジプトのピラミッドの寸法を照らし合わせてハルマゲドンのやってくる日を計算し続けたのだ。そして、その日がわかったので、万人に知らせねばならない!ということで活動を開始した。ちなみにラッセルさんのお墓は、エホバの証人の仲間によって建てられた「ピラミッド型」のお墓になっている。


 おいおい、トンデモじゃねーか!!!

 そう思った賢明な読者の感想は、当たっている。

 ピラミッドの寸法と、聖書の記述から、ハルマゲドンの日がわかる、という発想は現代の僕たちからすればトンデモ以外の何ものでもない。たけしのTVタックルで韮澤さんという研究家の方が「金星人はもう地球に来ているんです!」と言っているのを思い出したり、矢追さんが「UFOが現れた!」と言ってるのを思い出したりした人もいるかもしれないが、まあそういう感じと思ってもらって全然OKだと思われる。

 しかしラッセルさんは大真面目だったし、それを信じた初期信者のみなさんも大真面目で、全世界で今の信者が800万人くらいもいることを考えたら、バカにはできまい。少なくとも、僕やあなたのファン倶楽部が出来ても、800万人も信じてはくれないことを考えたら、僕たちは完全にピラミッドに敗北しているのだから。僕のツイッターのフォロワーなんぞは、たかだか100人程度だ。

 さて、最初に書いたように、「こうだと言い切ってしまえば、それは一つの結論となる」ということが、まさにラッセルさんの身の上に起きたわけで、彼と愉快な仲間たちはそのまま、聖書とピラミッドへの信仰を深めていった。そして、彼が計算したハルマゲドンの預言の日付は、・・・・・・

・・・・・・まあ、外しまくったわけだ。

 まあ、そうなるよね。というのが大半の人たちの結論で、このセカイには「いついつに世界の終わりがくる!」という預言をして外しまくった挙句、自爆してゆく宗教者がたくさんいるものだが、ラッセルのフォロワーたちは違ったのである。彼らはすごいことを考えた。

「そうか、計算式が間違っていたのだな」

と。

 面白いことに、ラッセルさんは「自分は神の預言者だ」的な乗り移り、憑依芸をやらなかった。日本には大なんとかさんというすぐ他人の霊が乗り移るタイプのイタコ芸をメインにしておられる宗教家もいるようだが、ラッセルクラスタはあくまでも「理論的に計算する」ということを重んじたのがよかったのだろう。そのせいで、「預言を外した教祖はお払い箱」となるのが普通なのだが、再計算、再解釈を繰り返すことで延命することができたのである。

 余談なのだが、今のエホバの証人の組織化、拡大化をしたのは二代目に就任したラザフォードというおっさ・・・・・・失礼、である。

 この人物は

「国際連盟よりも、信頼できるのは神の王国だ」

とぶち上げた。これが意外とよかったのかもしれない。奇しくも時代は第一次世界大戦から第二次世界大戦を迎える動乱の時であり、全世界の人々が「こんな世界中が戦争まみれだったら、こりゃあ本当にハルマゲドンがやってくるかもしれないぞ」と思わず思ってしまっても不思議ではない時期だったからだ。

 ラザフォードは今の「エホバの証人」の呼び方や教義体系を作った人物でもあり、「クリスマスは異教徒が由来だからダメ」とか「十字架を使わない」とか「教会ではなく王国会館にしよう」とか、現代まで続くエホバの証人の特徴を作り上げた。

 そしてついに「初代のピラミッド計算は間違いだ!」と初代が死んだのをいいことに、完全否定までしたのである。これも良かった!ピラミッドのままでは、この宗教は最初から最後までトンデモだったが、あえて初代を否定することで、あらあら、逆にまともな宗教のようになってしまったのだ!

 要するに、ラッセルのピラミッド愛好会は、体よく乗っ取られてしまったというわけだ。そして教祖が考えたことをひっくり返したおかげで、この宗教は「教義が変わっても別にあまり不都合がない」というしくみになってしまった。日本の某宗教家は、奥さんのことを最初は「女神の生まれ変わり」と言っていたのに、離婚したら「あいつは悪魔だった」と言っているらしいけれど、教祖がいないのだからエホバの証人の場合は、好きなように教義を変更できることになったのである。

「よくよく調べたら実は違っていたようです。さすが神はいつも新しい導きを私達にくださいます」

なんてね。


 話がずいぶんと逸れてしまったが、そろそろ本題に戻ろうと思う。外国人のおっさんの話ばかりしてしまったが、この物語の本当のテーマはうちのオカンについてなのだから。

 これまた結論から言おう。うちのオカンは、エホバの証人に入ってしまった。それは1970年代のことだった。それが、すべてのはじまりだったというわけだ。


(つづく)



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