死は虚構か?


 いちおう、解脱者を名乗っているので、この世のたいていのことには驚かず、あまり心乱されず生きているムコガワさんなのだけれど、最近

「ふんぎゃー! す、すっげー!」

と家族も驚くくらい、ものすごい声を上げてビックリしたことがあって、自分でもそんな自分にビックリしている。

 まず、第一ビックリは、NHKの番組「ヒューマニエンス」を見ていて知ったものである。

 つい先日放送された「虫」の回だったのだが、カイコを使ってすごいことをしている映像を見てしまったのだ。

 


 カイコのオスというのは、いわゆる「蛾」で、ふだんのオスはほとんど動かない。いや、っていうかまったく動かず、ただ、そこにとどまっているような存在である。

 引きこもりが体育座りでうずくまっているくらい、全然動かず、ただそこにいるのがカイコガのオスなのだそうだ。
(ちなみにあまりにも家畜化されており、カイコには羽があるけれど飛べないらしい)

 では、カイコのオスはいつ動くのか?

 それは、「メスのフェロモンを感知した時」だけで、たとえばメスのフェロモンを抽出したにおいを振りかけるだけで、

 めちゃくちゃ元気に動き出す

のである。もはや変態の領域なくらい、メスの匂いだけに反応するのだ。

 まあ、そんな風に女のことしか考えていない、ひきこもりのカイコもヤバいのだが、人間のすることはもっとヤバい。

 要するに、カイコの触角は、この世のありとあらゆる物質を除外して、メスのフェロモンのことだけを考えていて、唯一それにだけ反応するのである。

 『極めて選択的な、センサー』ということになる。

 そこで、偉い学者の先生は、次のようなものを作ってみた。

■ カイコのオスの触覚だけ切り取る。
■ それに電線をつなぐ。
■ ハンダづけとかできないので、電導性のジェルみたいなもので、触覚のはしっこと電線をつなぐ。
■ そのカイコのオスな触角センサー部品を、ドローンに取り付ける

 さあ、このドローンを飛ばすとどうなるか。

 なんと、メスのフェロモンのにおいがする方向へ飛んでゆくのである!

 ぎょへーーーー!!!

 
 いかにも無機物なドローンが、メスのフェロモンの方向へ意図的に飛んでゆく姿を見ると、なんだか心がゾワゾワするものを感じた。

 それもただ、カイコのオスの触覚を張り付けただけのドローンが!!!!


(もちろん、専門的には、触角を張り付けただけでそっちへ飛んでゆくわけではない。触角が反応したときに、電子的な発火出力(反応)があるから、それを拾って、そちらの方向へ向かうようにプログラムされているのだが、細かいプログラムはともかく、原理としては触覚を張り付けただけに、かなり近い)


 ちょうど、その日の前後に、かの北海道アイヌ冒険活劇漫画「ゴールデンカムイ」における「最強最悪の問題シーン」である「精子探偵」の回が放送されていたのだが、

『ドローンに精子張り付けたら、女性のほうへ飛んでゆく』

みたいな話になるわけで、ドン引くこと、この上なかったのである!!!

(著者注:18歳未満のよいこは精子探偵とはなにか、ググっちゃだめだよ?)


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 まあ、そんな感じで、「命とは、性とは」みたいなことに、ある種の衝撃を受けて、頭がクラクラしたのが、そのお話。

 カイコの触角だけで、異性のところへ飛んでいってしまう生命の恐ろしさ、機械性、システム性みたいなことを思うと、まさしく神の造りしシステムの「凄さ」とか「ドライさ」「厳密さ」「非倫理性」みたいなことも思わずにはいられないわけで。


 さて、そんなこんなしていたら、次の衝撃が襲ってきた。

 現代ビジネスさんの記事で、

「死を恐れるのは人間だけで、そもそも動物は死を認識しない」

という話を知ってしまったのだ!!

 これまた

「ぎょへーーーー!!!!」

である(笑)

 もちろん、動物が、他者の死に直面することはある。それがどういう状態か、まったく理解していないわけではない。

 しかし、それは「どうやら生きている状態ではないらしい」というだけの、もっとドライなもので、我々人間が認知している「死」とはずいぶん様子が違うのではないか?という話だった。


 余談ながら、「死への理解」という意味では、ゾウさんはもう少し死を理解しているのでは?(ゾウの弔い)といった観察もあり、そうそう単純ではないが、少なくとも

■ 人間だけが死を理解し、それに恐怖している

というよりかは

■ 死の「概念」は本来動物界にはなく、脳が発達するなかでそれを「認識する」ということが生じてきたのではないか?(脳のサイズや進化に連動している?)

と言えば、より適切かもしれない。


 武庫川は「人間は虚構を信じられる唯一(といっていい)生き物だ」と常々論じている。

 先日から連載していた「This World 創造主最後の預言」のシリーズでも、究極の結論はそこであった。

 虚構を信じられるからこそ、仮説を立て、検証することもできる。それが科学となり、また一方では虚構を信じ続けているからこそ、神の概念から卒業できないのが人類だ。

 だとすれば、動物が感じている物理的な「死」と比較したとき、我々人間は

”過剰に、感覚的、情緒的、虚構的な「死」を認知して、それを恐れ、支配されている”

と言えないだろうか。

 誰しもが「死ぬまで死を知りもしないくせに、いっちょまえに死の恐れに支配されている」わけだ。

 まさしく「死でさえも、虚構なのだ」と言わんばかりに!!


 死が虚構なのであれば、人間以外の動物は、物理的な死が来るその瞬間まで、むしろ「生を一生懸命まっとうしようとしている」だけである。それは褒められるとか、けなされるようなことではないが、ただ「一生懸命生きている」以上でも以下でもないし、それが神の造りしシステムそのものだ。

 カイコががむしゃらで一意専心に「メス!メスのにおい!」のことだけを考えているのは、人間の基準では「ヤバい」やつだが、神の基準では「それでいいのだ」ということになる。

 むしろシンプルで、なおかつシステマチックなものかもしれない。触角だけでも彼は「メス!メスのにおい!」のことしか考えていないのだから。

 翻って人間は、「生きる!いきるんだ!」というただそれだけのことに集中できない。それどころか、今バリバリ、現役で生きているのに、虚構の「死」のことばかりを考え、恐れている。

 カイコが3次元のメス!のことしか考えていないのに対して、人間は「虚構」のことに人生の大半をとられてしまうのだ。

 だとすれば「2次元のキャラ(メス)」に気をとられてしまう、オタクのことをどうして人は笑えようか!!

 二次元キャラにハマる男をバカにするのは、それが「虚構」だからだ。

 では「虚構である死」にハマっている我々は、バカにされるべき存在だということになる。

 どっちもどっちなのだから。


 というわけで解脱者ムコガワは、今まさに「死」すら超越することに成功したのである(わはは)

 我々が脳みそで思っている「死」とは、概念上の虚構に過ぎず、それに接触するその日まで、我々は「リアルで、現実に、直接対面しない」と約束できる。

 むしろ3次元でリアルで、手にとって感じ取れるのは「いま生きている命」のほうだ!!

 これが人類の希望でなくて、なんであろうか!!!僕らはリアルな「生」と共にあるのだから。


 なーんてことを考えながら、うちの奥さんと「精子探偵」見ながらゲラゲラ笑っているのが人生である。


 きっと、それが幸せってやつなんじゃないかな?


 おしまい




 


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