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【神になるための入門講座07】そもそも、神は正義なのか?


 前回は、「宇宙の創造神」について考えてみました。実際に宇宙を創造した神が、どのようにこのセカイを動かしているのかを、学んだわけです。

 そして、その宇宙創造神は、聖書の中では「エホバ」とか「ヤハウェ」と呼ばれるような「聖書の神」として理解されていることも少しだけ触れましたね。

 聖書とキリスト教、そしてそれをベースにしている西欧諸国の世界観では、

「今のセカイは、悪魔の影響で間違っていたり、不完全だったりすることが多い」

「それをいつか神が正しい世界にする、とキリスト教徒は考えている」

「あるいは、人は正しい世界になるように頑張っているのだ」

ということになっています。


 これをそのまま受け止めると

「神は正義であり、悪魔は悪である」

という仮定が成り立つのですが、本当に神は正義なのでしょうか?


正義や善というのは、とても難しい概念で、一方から見れば善であっても、反対側から見れば悪であることもたくさんあります。

「死の苦しみにもがいている人を殺してあげるのは善か悪か」

なんて状況はよくあります。

「大切な家族を殺した相手に復讐するのはどうか」

とかもそうですね。

「マシンガンで撃ってくる乱入者を撃ってはいけないのか」

もそうです。

 善や正義というのは、一方向からでは語ることが難しいのです。


 しかし、宇宙創造神がどのようにこのセカイを作っているかを観察すると、実は「正しいこと」とは何かについてのヒントが見えてくることがあります。

 神は「これはしてOK」ということと「これはしてはダメ」ということを明確に切り分けているので、神のルールによって「できること」「できないこと」は完全にはっきりしているのです。

 例えば、

■ 愛する猫ちゃんと、ムコガワの間には、こどもは出来ない。

■ 水中では、人は暮らせない

■ 人間には、翼は生えていない

■ 生きるためには生きたままか、あるいは死体を食べなくてはいけない

などなど、神が定めたルールは山ほどあります。


 中でも一番興味深いというか恐ろしいのは、

「人は死体を食べないといけないのに、人のルールでは基本的には殺すことはいけないとされていること」

だと思います。

 神のルールと人のルールがどうもズレているらしいのです。

 実際に、人は人を殺すことがあります。殺してしまうことは物理的に生じるので、その行為は「許されている(実際に起きている)」と考えることもできるでしょう。

 けれど、ムコガワと猫ちゃんとのあいだのラブベイビーは、許されていません。

 神にとっては、「人殺しはやってもいいけど、猫人間は絶対に絶対にダメ!」と決めているわけです。

 神は、猫人間ができることは強力に許さないのに、人殺しが起きてしまうことは許してしまうような、そんな存在だと言うのです。恐ろしいでしょう?



 もちろん、よーく考えてみると、神の理屈の上では整合性があります。


■ 人は他者の死体を食べて生きねばならないのだから

■ (それが人か動物かは別として)殺すと言う行為は起きるし、生じる。

■ 殺して食べるということは、許されている


全然、矛盾がありません。食べるし殺す、ということなので、神の目線で見たら、変なところはないのです。


(え?ということは、「おかしい」のは人間のほうなのかしら?!)



 今日の考察からわかってきたことは

「神の正義と、人間の正義は違う」

らしい、ということです。たぶん、そこにはズレがあります。

 だからといって、神の正体は悪魔であって、「ぐへへへ、すべての生き物は殺しあうのじゃ〜」と喜んでいるかどうかは、よくわかりません。

 そうではなくて、人間の倫理観は、神の物理観とはちがう次元にある、ということなのでしょう。



 だから、神になるということは「人間の正義とはズレる」ということを意味します。

 人間の正義は、「人間にとって良いこと」と言い換えても、そう外れてはいません。

 つまり、もともと僕たち私たちが「神になりたい」と思ったのは、善か悪かは別にして、

「何か、今よりも人として望ましい状態になりたい」

ということだったと思いますが、もう一度整理しましょう。


 たとえば、「可愛い女の子にモテたいので、そのために神になってどんな女の子でも、思いのままにしたい!」という非モテのどんづまりがいるとします。

 それを人の世界で実行するのは、倫理的には悪です。けれど、遺伝子が増えて子孫が反映することは神の目線では別に悪ではないし、最初からそう設定されていることです。

 その時に「相手の女性の気持ちを考えたり、尊厳を守ったりするかどうか」は人の世界のルールですが、神の世界のルールにはそんなものはありません。

 そもそも、ライオンに襲われるインパラやシマウマの尊厳など、神は考えていないでしょう。まあ、人だって、スーパーに並んでいる牛肉や豚肉の尊厳など考えてはいません。


 ちょっと話を巻き戻します。女の子をほしいままにしたい!と非モテは思うわけですが、実は倫理的に悪人となり、犯罪者となるのであれば、それは今すぐにでも実行することは可能です。

 けれど、それは人としてダメだと思っているから、非モテは「神になりたい」と思うわけですよね?

 つまり、神になれば、女の子は「さあ、わたしを食べて〜」と神に自らを差し出したり、神の力によって「嫌がらない=尊厳が傷つかない」だろうから、だから非モテは「神になろうとする」わけです。


 非モテは、「女の子をほしいままにしたい」と悪行を望んでいるのですが、でもちょっとだけ倫理観が残っていて、「それでも、僕も後ろめたくなく、かつ女の子も尊厳が傷つかないようにしたい」とも考えていることがわかります。

 だから、人として望ましい状態を維持したいと非モテは、わずかでも考えているのですね。


==========


 しかし、それでは神にはなれません。神はそこらへんでのんびり暮らしていた鹿ちゃんに、後ろから突然襲いかかるようなヒグマを設計します。

 人類の細胞に勝手に遺伝子を注入して、尊厳などクソくらえとでも言わんばかりに人々を次々に殺してゆくウイルスを設計するのです。

 神になることは、人としての倫理観を失うことでもあります。


 さあ、あなたは極悪非道、傍若無人たる神になってゆきます。何の罪もないかわいそうなインパラが無慈悲に殺されるような、そんな世界をこれから創造してゆく存在へと変貌してゆくわけです。

 覚悟はいいですか?


(つづく)







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