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桜を改めて好きになった話

こんばんは。


6月も三分の一が過ぎようというのにこのタイトル。

写真のデータ整理をしているときに、4年前、生後4ヶ月の長男を連れて近所の桜を見に行った時の写真を見つけました。

今年はお花見らしいお花見はできなかったなぁ。

そう思いながら、長男の成長を早送りするようにカメラロールを現在までスクロールし続けると。

一枚一枚が見えないほどのスピードで親指を繰り上げているのに、桜の写真は背景の一面のピンクでそれと分かるんですよね。


抱っこひもに埋もれていたのが、とてとて歩きに。

イヤイヤ期だったのかむくれた顔、と思いきやすぐ次に満面の笑みで不器用なピースサイン。

一丁前にストライダーに乗って、3歳の3のポーズ。

直近のものは、桜の下で新品の自転車とヘルメットに誇らしげな長男。次男はというと、抱っこ紐に埋もれたひよこみたいなふわふわ頭に桜の花びらが乗ったのを、二重顎になりながら真上から撮った写真。(撮ろうとしたときにインカメラになって不意に映し出された自分の顔に激しい嫌悪感を抱いたことまでフラッシュバック)


毎年必ず咲いて、必ず散る。飽きる前に散るから愛されるんだ、なんて言った人がいたけれど、こうやって過去を振り返ることができるから、桜は特別なんだな、なんてしみじみ考えました。

そして、過去だけでなく。

我が家のboysとの未来に想いを馳せてみると。

手を繋いで桜をみて綺麗だなぁなんて言えるの、あと数回しかないんだろうな。

手を繋ぐのは幼少期だけとして、ただ一緒に桜を見るというだけの行為においても、私の人生の中であと10回もないだろう。


今年は長男の自転車の練習と運動不足解消のためのお散歩ついでに、たまたま桜を見ることができました。桜の季節、の意識が例年より薄かったこともあって、

あっ桜!綺麗だねぇ〜

と自分でも意外な大きな声が出たせいか、長男はしきりに「ママ、ここも桜、あっちも桜、綺麗だね〜!」と話しかけてくれました。

10年後、彼は中学3年生。近所を母親とふたりで並んで歩くなんて嫌だろうし、ましてや同級生に見られたりなんかしたら大変なお年頃。


次男が生まれ、教科書通りに赤ちゃん返りした長男に手を焼いたり、そろそろ長男に自立心を芽生えさせなければとベタベタ甘えてくるときは少しだけ距離(心理的な意味で)をとろうとしていましたが、この桜にまつわる過去未来を思った途端、

焦らなくてもいいか、むしろ今限定のベタベタ甘えん坊の彼を満喫しよう

とモードチェンジできました。

来年の桜は、どんなふうにみているんだろう。

そういえばお互いカメラロールからすっかり消えてしまったオットくんとも、意識してお花見しよう。写真を撮ろう。


あぁこの感じ。大学生の頃、バイトで桜満開の哲学の道で売っていた桜アイスの味といっしょだ。

甘じょっぱい。


読んでくれたあなたのお口も甘じょっぱくなったでしょうか?笑 あなたに幸あれ。


むー


 

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