2_1_毒性

「molと聞いて頭痛を起こす人たちのための化学+」シリーズ-1
【毒性】
 私が工業化学科に入って最初に学んだのが毒に関する知識でした。毒の知識と言ってもどの物質にどんな毒があるのかと言った枝葉の話ではありません。どんなものであれ量が過ぎれば毒になりますから酷い表現をすれば「全ては毒」「毒しかない」と言えます。しかしそれでは専門知識の入り口としてまるで意味がありません。これから危険な物質を取り扱う可能性があるわけですから、何を以て毒とするか、毒を取り扱う際に何に気を付けるべきかを学ぶ必要があります。さもなければ自分だけでなく実験室、酷い場合はキャンパス全体に悪影響を及ぼす危険性が出てきます。シリーズ最初である本稿では前述にあるように「毒とは何か」と「毒への対処」を説明していきます。


1-1.毒とは何か
 「毒とは何か」と問われると漠然と「人に害をなす物質」と答えることが多いと思います。普段の生活であればそれで十分ですが、ここは化学の話ですからもう少し掘り下げていきましょう。
 先程書いたように量を無視すれば全て毒です。それでは話にならないので、もう少し考えていきましょう。例えば「Aという物質はティースプーン一杯飲めば腹を壊す」とか「Bという物質は一息吸い込んだだけで死ぬ」とか考えてみましょう。幾分具体的になったのではないでしょうか。しかし、これでは生活レベルでは使えますが、基準がばらばらで普遍的な(何にでも使えるくらいの意味)評価ができません。そこで続いて「どういうことをすれば」と「どれくらいあれば被害があるか」に分けていきます。
 まず「どういうことをすれば毒となるか」を考えていきましょう。先程の例で言えば”飲む”と”吸い込む”がそれにあたります。挙げていくと主に以下のものが考えられます。

経口:口から消化管に入る
経皮:皮膚から吸収される
吸引:ガスや粉末が呼吸器に入る

これら以外にも「目・鼻の粘膜を損傷させる」「皮膚を腐食・刺激する」と言ったものがありますが、単純にするため省略します。まずは簡単なことから理解していきましょう。
 このように毒になる方法が分けられいるのは、物質によって毒の発生の仕組みが異なるからです。例えば、塩酸は胃酸と同じなので胃に入っても被害があまりないけれど、ミストやガスとして呼吸器に入ると致命傷になると言ったものが挙げられます。
 続いて「どれくらいあれば被害があるか」を考えていきましょう。これが”量”の概念です。ヒトに対する毒の場合、基本的に体重1kg当りの量で考えます。大人と子供で被害が出る量(致死量など)が異なるのはこのためです。”被害”についてはもう少し具体的に設定する必要がありますが、ここは単純に「病気になる」とか「死ぬ」で良いでしょう。
 これら二つの条件を組み合わせてどういった危険のある毒であるかを判断します。

1-2.毒になる量
 毒に関する量の概念についてもう少し考えていきましょう。殺虫剤を例として「どれだけ吹きかければどれだけ蠅を殺せるか」を実験を模して説明することにします。
 実験に際し、前以て幾つかの条件を決めます。別の機会に説明しますが、実験の際は変化させる要素以外の物事(条件)は極力等しくしなければなりません。実験の再現性が確保できないからです。さて、条件として蠅を閉じ込める容器の大きさ一定にし、容器に入れる蠅の数も揃えます。他にも温度や湿度なども統一させます。
 この容器に量を変えて殺虫剤を吹きかけていきます。使った殺虫剤の量は蠅の体重当たりの重量(mg/kg)で考えていきます。それでは使った殺虫剤の量をx軸に、死んだ蠅の数を%換算で表してy軸に取ってグラフを描いてみましょう。なお、今回は架空の殺虫剤なので現実の数値とは異なります。

図.1-2-1 殺虫剤の量と死んだ蠅の割合

 ほとんどの殺虫剤の効果は図.1-2-1に表すようなグラフで表すことができます。これを用量-反応曲線と言います。いきなり見せられるとピンとこない方がいらっしゃるかも知れませんので、少しだけ補足しておきます。これは元々正規分布のグラフをx軸が少ない方から累積で描いたものです。つまり、殺虫剤が少ないと簡単に死ぬ個体は少なく、それが量を増やすと徐々に効く個体が増え、ピークを過ぎると効き難い個体が少しだけ残る山なりのグラフです。以下に累積していないグラフを記します。

図.1-2-2 殺虫剤の量と死んだ蠅の割合(累積なし)

 図.1-2-1の方が殺虫剤の効き目を理解するには便利だと思います。殺虫剤の効き目が弱いと用量-反応曲線はその分だけ左(x軸の数字が小さい方)へ移動し、効き目が強いと右へ移動します。また、効き目は正規分布の山なりの幅にも影響することがあります。弱いと山の裾が広くなり、強いと裾が狭くなります。
 ここで効き目を表現するためにLD50(50% Lethal Dose)と言う概念が出てきます。日本語では半数致死量と言います。「どれくらいの殺虫剤を使うと半数が死ぬか」という意味です。使う事はあまりないですが、LD90(90%致死量)の場合は90%が死ぬ量のことを指します。
 蛇足ですが、この表現方法は他の分野でも使う事があります、例えば粉の粒子の大きさのグラフを描いた場合、小さい方から50%の粒子の直径をD50と言います。他にもD10、D90と言ったものも使います。これらは粒子の大きさ・分布を考える際によく出てきます。例えば「これはD10とD90の差が大きいので精製が上手くいっていない」などです。
 話を戻しましょう。このLD50を見て殺虫剤の効き目の強弱を判断していくことになります。D50が小さい程少量で強い効果が得られるということですが、単純に強いから良いということはありません。効き目が強過ぎれば人やペットに降りかかった時の被害も考えなければなりません。かと言って弱過ぎれば大量に散布しなければならず、保管や販売に不利です。様々な事情を考えて丁度良い殺虫剤を作らなければなりません。
 殺虫剤で大まかな感覚を掴んだところで、LD50が実際にどういった形で使われているか具体例を示します。化学物質を取り扱う際の説明書としてSDS(Safety Data Sheet)と言うものがあります。日本語では安全データシートと言います。SDSには化学物質を取り扱う際に知っておくべき危険性・有害性が書かれており、購入時に必ず読むように定められています。危険な化学物質を扱わない人生を歩んでいる方々には無縁のものですが、最近のデマの中にはこれを悪用したものがあるのでざっと説明します。現物がなくても問題はありませんが、気になる方は例えば「エタノール SDS」と検索して厚生労働省が用意している雛形を見ながら読んでください。
 SDSには頭から危険の区分、絵表示、保管などの時に気にすべきこと、基本的な性質、被災時の応急処置などが書かれています。今回説明するのはその後ろにある「有害性情報」です。ここに「経口」「経皮」などの被災の経路があり、その横にLD50とその量が書かれています。基本的にラットやマウスなどが使われています。この量を見て余りに少ない数字であれば非常に危険な毒であると判断して注意深く扱うわけです。今回はエタノールなので大騒ぎするようなものではないと分かって読めますが、
実際は危険度でランク分けされていたり、会社独自のルールがあったりして幾分緊張します。デマを振りまく人はこれを数字を無視して「毒だ!」と騒ぐわけです。そりゃあ量を考えなければ全ては毒なんですけどね。
 デマついででもう2点注意すべきことを紹介します。1点目は先程書いたようにマウスやラットでの毒性を書いていますが、一部の物質はヒトとそれらとで違った反応を起こします。従って、マウスで危険だからと言ってヒトでも危険とは限りませんし、逆もまた然りです。実際、環境運動家がシャンプーに使われる物質に発癌性があると騒いだことがありましたが、実際はラットでのみの発癌性でありヒトでは見られないとされる反応でした。
 2点目は全ての物質の毒性が分かっているわけではないということです。地球上には数えきれないほどの化学物質がありますが、全てのデータを取るのは非常に難しいことです。データがないからと言って片っ端から実験するわけにもいきません。従って、データがないものについては似た構造(性質)を持つ物質から計算して予想値を書くことがあります。また、これらはあくまで急性の毒性の話で慢性や次の世代への毒性などのそれはまた別に考えなければなりません。(慢性や次の世代への毒性は難しいのでここでは取り扱いません。)デマを流す人はここら辺を突いて嘘をつく可能性があります。

1-3.薬の効き目と副作用
 さて、ここまで毒の話をしたので逆に薬の場合も考えてみましょう。大雑把に言えば薬は毒の反対なのでやることは同じです。「どれだけの量を使うと期待した効果が得られるか」を見ます。薬の効果に関してはLD50とは違った見方をするのですが、設定や計算が多いので省略します。一方で副作用(今回は悪い副作用のみを扱います)の問題があるのでこれをグラフを使って説明します。

図.1-3-1 薬の効果と副作用①

 図.1-3-1の実線を薬の期待した効果、破線を悪い副作用とします。例えば90%の人に薬の効果を出そうとすると約6.2mg/kg服用することになりますが、この場合は悪い副作用が発生することはまず無いでしょう。これはかなり良い薬と言えます。
 一方で以下の様な場合はどうでしょうか。

図.1-3-2 薬の効果と副作用②

 図.1-3-2の実線を薬の期待した効果、点線を悪い副作用とします。半数の人に効果があるようにしたければ約5.0mg/kg服用することになりますが、今度は約17%(6人中1人)に悪い副作用が発生します。先程と比べ悪い副作用に注意しながら使う必要が出てきます。
 当然、副作用の種類や程度も考えなければならないので考えることはもっとあります。しかし、基本は毒の説明と同じです。
 このようにして毒や薬の強さ・有効性を考えていきます。


2.毒・薬を使うコストとリスク
 ここで少し脇道へそれます。本筋と全く関係ないわけではありませんが、毒・薬そのものとは直接は関係ない話で、コストやリスクの問題です。
 例えば、図.1-3-1で示した薬のように以下に悪い副作用が少ないものだからと言って限界まで服用する量を増やすのかという事です。まず、効果のある割合が20%ごとの必要な薬の量とそこから効果のある割合を20%増やすために必要な薬の量を見ていきましょう。

表.1-3-1 効果20%ごとに必要な薬の量

 80%まで増やすのに比べ80%から100%に増やすのはかなり効率が悪いと分かります。薬が高価で本人に効果があるかどうか分からない場合、果たしてそこまで服用させる価値があるか考えてしまいますね。悪い副作用があれば尚更考えます。
 これが殺虫剤の場合は耐性を持った個体が生き残り、耐性を持った個体だけが繁殖する危険性を考えなければなりません。必ず全滅させることができると断言できれば良いのですが、絶滅の証明は難しいので100%まで持っていく価値があるとは言い難いのではないでしょうか。


3.毒への対処
 最後に毒への対処を説明します。対処法とは言っても化学物質個別の性質を知り、毒を受けた時にどうやって無毒化するかではありません。そもそも毒は避けることが大前提です。
 化学物質に限ったことではありませんが、何かに曝されていることを「曝露」、曝露を受けたことを「被曝」(漢字を間違えないでください)と言います。前述のSDSを検索された方はちらりとご覧になったかも知れません。これは悪い物だけではなく何にでも使います。例えば私たちヒトは大気中で活動しているので窒素と酸素の混合ガスに暴露されていますし、日光に当っているので日光にも暴露されています。
 化学物質の曝露を避けるには幾つかの方法があります。
 先ずは一度に取り扱う量を減らすことです。例えば揮発性有機溶媒などは一度に多く取り出すとそれだけ空気中に揮発し、吸引する危険性がでてます。高々1mL程度しか取り扱わないのに5Lボトルを持ち出すのは余りよい行動とは言えません。
 次に扱う時間を減らすことです。これも揮発性有機溶媒が分かり易いでしょう。容器の蓋を開けっ放しにすればそれだけ揮発する量が増えるので直ぐに蓋を閉めるべきでしょう。また、強力な換気装置で部屋から追い出してしまうのも有効です。
 そもそも触らないようにするのも有効です。揮発性がない固体や液体であれば手袋などの保護具を着用すれば毒の効果を受ける事はほぼないでしょう。
 ついでに放射線を取り扱う場合も似ているので書いておきます。これも取り扱う放射性物質或いは放射線の量と取る扱う時間を減らすのは同じですが、放射線の発生源(線源と呼ぶ)から距離を取ることも重要になってきます。早い話、焚き火から距離を取れば熱くないのと同じです。放射線に関してはまた別の機会に書くことにしましょう。


 さてどうだったでしょうか。毒性に関する大まかな感覚は掴めたでしょうか。化学科・工業化学科入学直後がこれくらいなので、特に実験をしないのであればこれくらいで十分でしょう。後はここから自分が扱う化学物質ごとの個別の対処法を調べてみてください。

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