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寓話 「いのちの日記」 第1章

第1章 ぼくの体験記


人は生きているうちに、何度後悔を繰り返すのだろう。

「あのときこうしてれば」と、何度悔やむのだろう。



あなたはそう思った時のことを、どれだけ覚えていられますか。


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インドのバラナシという町には、死期が近づいた老人が「死にに来る」。

そこは、人の死に触れ合う町だ。生と死が混沌とする町。

数秒前まで確かに息をしていたはずの人が、息をすることを辞め、目の前で白い布に包まれていく。男性は白い布、女性は赤い布に包まれるようだ。家族に担がれた遺体は、無言のまま露天の火葬場に向かう。

ゆっくりと薪がくべられていく。ただただ静かに、ひとつづつ。

どんな想いなのだろうか。つい数分前まで確かに生きていた人が今から儚く燃え尽きようとしている。

これまでの数十年間を生きてきた確かな証であるその体が、今から塵となり跡形も無くなっていく。


僕は震えた。背筋を何か悪いものが通り過ぎてはまた心臓を締め付ける。

呼吸を忘れて目の前の景色に引き込まれていく。もし死に尊厳があるとしたら、この景色はあまりに美しい。ヒンドゥー教の聖地であるこの町の人々はその美しさを信じて疑わないのだろう。

手を合わせる人々は何を願っているのだろうか。故人の冥福だろうか、死後の世界での幸せだろうか。死を受け入れるということは、あまりに残酷だと思う。


ついに、火が付けられる。

一本の松明を持った僧侶が、ゆっくりと遺体に近づいていく。祈りを込めて置かれた松明から徐々に火が燃え移る。じわじわと少しづつ。

たちまち炎は遺体を包み込んだ。時間が経つにつれ、その炎は勢いを増していき、目の前に広がる景色に、僕は心を突き動かされることになった。



頭蓋骨が割れる音や、骨盤が砕ける音とともに、その遺体から煌々とした火柱が上がった。


高さはおよそ3メートルだ。


命の役目を終えたはずのその体から、とてつもないエネルギーを持った火柱が上がる。ただひたすら高く、その炎は燃え上がる。


思わず、僕は涙を流した

死しても尚、これほどまでに生きようとする命の炎を目の前にして。

「死にたくない」

「生きてやる」

そんな声とともに、僕の目に焼き付いて来る。


僕はこの景色を忘れたくない。

命に触れ合ったこの日を。

死について考えたこの日を。

生きることについて考えたこの日を。




いつか僕が死ぬときは、燃え上がる後悔のないように。

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これは僕が2002年の7月7日に書いた旅の記録さ。

このとき、世界中を旅していたんだ。四人兄弟の3番目に生まれた僕は、才能を持った兄さんや弟たちと比べられてきた。「どうしてお前はなにもできないんだ」ってね。

僕だって望んでヘッポコなワケじゃないのにさ!全くひどい話だよ。

でももうそんな家族にも、世間にもうんざり。

行く宛もなく家を飛び出したんだ。ここじゃないどこかに行きたくて。



え?僕は一体誰なんだって?



まだ内緒。君にもいつかわかる時が来るし、

君はもうすでに僕を知っているからね。




第1章 ぼくの体験記






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